19号・地域新聞だった公民館報さらしな

 「公民館機関誌『さらしな』は文化村更級の心臓として誕生しました。紙面は広くなくても、走っている文字は血管です。文字は小さくても、含まれているものは血液です。養分です。…」 先の戦争後の1948年に発刊された館報「さらしな」創刊号の一節です。初代館長の田崎一路さんが記したものです。更級村が戸倉町、五加村と合併する一1955年まで毎月発行されました。その内容の充実ぶりに驚きました。
 テレビ欄がないだけ
 「長野県公民館活動史」によると、文部省が公民館構想をつくり、戦争を繰り返さないために国民の自立の基盤となることが公民館に期待されました。館報は村の10代、20代の青年(女性を含む)がボランティアで編集委員として参加していました。
   館報さらしなも、その議論による紙面づくりは村の広報としての役割を担い、また批評精神も豊かで日刊新聞的な性格もあったようです。村の暮らしをみんなでよくしようという意気込みが形に、また表現につながっていました。取り上げる分野は政治、行政、文化、産業、家庭、教育、芸能、社会まで、新聞とほとんど同じで、ないのはテレビ欄ぐらいと言えるほどです。
     戦後から合併までの更級村の社会情勢、産業、風俗がよく分かり、村民の名前もたくさん載っています。更級村の情報の宝庫ともいえるものです。更級村の勢いを特に感じさせるものをいくつか紹介します。
  マッチを配って
 一つは更級村公民館が「北信館報コンクール」を主催した、との1951年2月15日号の記事です。更級村公民館は優良公民館として世間に知られていたことから、五十号発行記念として、長野市を含む北信の1市6郡に参加を呼びかけました。
   館報さらしなは毎号、B4サイズ四㌻からなっていましたが、一面をこのコンクールの特集に当て、「公民館活動の実態が紙面にあらわれているか」などの審査要領大綱や入賞館報の審査評などさまざまな記事が盛り込まれています。「一等」は古里村公民館(現長野市古里地区)で、「二等」は上山田町公民館。更級村公民館は主催者ということで選考の対象には加わらなかったようです。
 次に更級村青年団が県のモデルとして認められ、青年団運動を啓蒙する「幻燈」制作に協力したという翌52年10月10日号です。この「幻燈」というのは今で言うスライドのことでしょうか。今も残っているのならぜひ見てみたいものです。
 更級村の公民館活動の勢いを第三者の目で記したものも見つけました。52年3月発行の埴生町(旧更埴市、現千曲市)公民館報で、更級村公民館の視察記が載っています。
   取材者は当時の中村信一郎館長にインタビューし、▽戸倉上山田温泉に近いので県がやたら視察を向けてよこす▽特別にたいしたことをやってるとは思っていないーという話を紹介しています。また、データーとして「更級村公民館の予算は豊かな経済力を反映して断然他を圧し、昭和26年度最終予算は61万円(埴生町は31万円)」。さらに「何と言って青年学級、婦人学級が大きく、館報も予算7万で毎月1600部を発行」と記しています。
 今となってはほほえましい施策ですが、公民館に限らず各種会合の出席時間を村民に守らせるため、定刻の出席者にはマッチを配り、実際に遅刻者を減らしたと記しています。更級村の図書室には本が2000冊あったそうです。
 感動的な合併特集号
 館報さらしなから芸能のエピソードも一つ。公民館が「更級小唄」を村民から募集し、1953年1月10日号に入選作が載っています。県の社会教育課主事らが審査し、優劣がつけがたいとして3人の方の作品が選ばれました。ここでは「1区の金井幸雄さん」のものを掲載します(実際は四番まであります)。
 一、おらがじまんのあの月が   チョイト出ました冠着に
   空のお月様まんまるで   角もたたねば添いよかろ
   エーソウダヨホントダネ
 二、おらがじまんのこのリンゴ  チョイとごらんよすずなりだ
   顔もつやつや器量よし   やがて都へおよめ入り
   エーソウダヨモウジキネ
 三、おらがじまんの湯の煙り  チョイト八王子来てごらん
   千曲へだててひとながめ  ネオンきらめく湯の町を
   エーソウダヨキテゴラン
 館報の記事は「作曲、振り付けは追って決める方針」と書いています。その後どうなったのか知りたいものです。
 館報さらしなの名前は戸倉町などとの合併で消え、館報「とぐら」に吸収発展します。合併特集号は感動的です。期待と寂しさがない交ぜになっています。
 お互いに若かった
 戸倉史談会の機関誌「とぐら」第11号(昭和60年12月発行)には、公民館主事の高松政光さんが寄せた文章がありした。「「あの頃、公民館で深夜まで編集作業や、文化・政治を論じ、疲れるとちょっと一パイと温泉に足を向けたり、お互いに若かった」
 そして「活躍した若手も年をとり、髪に白さを増している」人として次の方々のお名前を紹介しています。
 元戸倉町議長の高村元一さん、元県会議員の大谷秀志さん、元更級村公民館副館長の西沢勝美さん、元農協理事の高松治一さん、元戸倉町長の豊城麟太郎さん、弁護士の西沢仁志さん、佐良志奈神社宮司の豊城直祥さん、信越明星会長の大谷善教さん…(肩書きは当時のものあります) 画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。