45号・天皇家の宝物「更級日記」

 今、私たちが読める「更級日記」は、藤原定家が書き写した「御物更級日記」がもとになっています。定家は今から約800年前、平安時代末期から鎌倉時代を生きた歌人で、彼が書写した更級日記が天皇家の宝物として代々受け継がれていることから、天皇の所有物を意味する「御物」という言葉を冠してこう呼ばれています。(藤原定家と更級日記の詳しい関係についてはシリーズ41号をご覧ください)。
 現在は京都御所に保管されており、ふだんは見ることができませんが、それを実際に手にして調べた人の本がありました。
 美術工芸品
 大正14年(1925)に発行された玉井幸助さんの「更級日記錯簡考」です。更級日記は藤原定家が写したものをもとに、その後さらに写本がつくられていったのですが、いずれもその文脈がうまくつながらないところがあるので、「おかしい」と江戸時代から言われていました。錯簡というのは、とじ誤りのため本のページがくるっていることをいいます。
 玉井さんは東京高等師範学校(現筑波大学)の先生だった大正13年8月1日、日本で最も古い歌集である万葉集研究の第一人者で知られた東京帝国大学(現東京大学)教授の佐々木信綱さんを通じ、当時の宮内省に保管されていた御物更級日記を調査することができたのだそうです。
 保管されていたものが左の写真です。「更級日記錯簡考」の口絵にあったものを複写しました。日記は外箱、中箱、内箱と三重の箱に入っています。外箱は写真にある「更級日記」の右、金属の錠のついた桐の箱で、その上にあるのが中箱です。内箱は日記が立て掛けてある後ろ、三日月が見えるものです。
 この三日月のあるものが内箱のふたで、三日月は波形の模様をほどこした青海波に浮かぶように描かれています。うるしで絵模様をかき、金銀などの粉をまいて磨く蒔絵の技法でつくられています。カラーでないのが残念ですが、三日月は銀色だそうです。まさしく美術工芸品と言っていいでしょう。
 鑑賞の恩人
 錯簡は「列帖装」という製本方法から生じました。列帖装とは5、6枚ずつを、それぞれ二つ折りにして背中の部分に糸を通し、束ねる方法を言います。その糸が切れてばらばらになっていた紙をとじ直すときに、順序を間違えたのが原因とみられています。
 玉井さんは「更級日記錯簡考」の中で、「御物更級日記」を手にしたときの様子について「七百年の古色に染められた御物、折からの朝風に香る紙の匂いもいとめでたく拝せられた」と書いています。8月1日といえば夏の盛りですから、午前の早い時刻、風が通り抜けるような部屋で宝物をひもといたのではないでしょうか。
 更級日記は定家が書き写してくれていたから今に残るという意味で、更級日記の「命の恩人」です。玉井さんは、とじ誤りを学術的に究明したという功績から「鑑賞の恩人」と言っていい方です。
 後西天皇に献上?
 では、どのような経緯で定家の更日記が天皇家に渡ったのでしょうか。
 御物更級日記の書体を写真撮影して影印本と呼ばれる形で復元出版した笠間書院の本の解説が参考になります。解説者の橋本不美男さんによると、定家の子孫の家系である京都の冷泉家から江戸時代初頭、後西天皇に渡ったのではないかということです。
 御西天皇の側近的な公家の日記には、御物更級日記が後西天皇の遺物の扱いであることをうかがわせる記述があり、更級日記は後西天皇の後継者である霊元天皇が受け継いだことが分かるそうです。更級日記は後西天皇が入手して珍重されたものではないかと、橋本さんは推測しています。
 後西天皇は寛永14年(1638)生まれ。学問に励み和歌の才能にもすぐれた方で古典への理解も深かったとされているので、歌人として最も尊敬されていた定家自筆の更級日記を定家の子孫の家から献上させ、手元に置いた可能性もあると私は思います。
 橋本さんが解説を書いたこの影印本は御物更級日記と同じサイズで、縦16センチ、横15センチ。手の中におさまるような愛らしい感じです。影印本は洋紙でできていますが、御物本は和紙。定家が書写したのは13世紀半ばなので、後西天皇が手にした17世紀半ばまでには400年の歳月が経過し、その味わいはずっと増していたでしょう。後西天皇がずっと自分のそばに置いておきたくなった気持ちも分かる気がします。三重に取り巻く箱は、後西天皇以降につくられたものではないかということです。
 もっとも貴重なもの 
 更級日記は明治2年(1869)、天皇が江戸城に住まいを移し皇居となった際、一緒に東京に運ばれ宮内省図書寮(現宮内庁書稜部)などに保管されていたことがありました。そのころの更級日記の大事さがよくうかがえる新聞記事があります。昭和3年(1928)9月21日付けの朝日新聞です。
 二面の中ほどに、宮内省図書寮がコンクリートで新築されたのを記念し、所蔵古典の一般観覧があることを知らせる記事が載っていました。記事は、鑑賞できる古典の数が25集巻と記したうえで、中でも4が「もっとも貴重なもの」と指摘。その4点の一つが「藤原定家筆更級日記」と紹介しています。
 右の写真は、笠間書院の影印本の中にある、更級日記作者、菅原孝標の娘の和歌「月もいでで闇にくれたる姨捨になにとて今宵訪ねきつらむ」の部分です。タイトルを更級日記にした理由を示す根拠となっている歌です。

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