98号・1時間で分かる「羽尾神楽」

  「更級人『風月の会』」の集まりが6月27日(2009年)、郷嶺山(旧更級村、千曲市羽尾地区)の、さらしなの里展望館であり、「羽尾神楽」について保存会のみなさんが解説を交えながら、実演してくださいました。神楽というのは、お祭りで神社に奉納する舞のことで、舞には巫女や蛇などさまざまな形態がありますが、当地ではいわゆる獅子舞のことになります。シリーズ前回97で触れた冠着神社例大祭(毎年7月28日)では、山頂にある同神社の里宮でもある郷嶺山で、毎年舞っているそうです。ただ、例大祭は平日のことも多く、お勤めの人が多くなった今、地元でもよく見たことのない人が多いことから、改めて解説を加えて分かりやすくという企画でした。
 ユーモラスな所作
 解説は、郷土史研究家で保存会メンバーの大橋静雄さんが、舞の種類や所作の意味について書き下ろしの文章と資料を添えた冊子をもとにしてくださいました。
 祭りのとき、村の中を練り歩く際に奏でる笛と太鼓のお囃子、糸まりを使っての舞、足芸…。左上の写真は、御幣と鈴を両手にした「新拍子舞」と呼ばれる場面で、五穀豊穣と家内安全を祈願するものだそうです。鈴は笹の葉を束ねたものが変化したもので、神と一体になることを意味し、転じて悪魔祓いの儀式でもあるそうです。最後に左下の写真にあるように、獅子が会場内を練り歩きました。
 神楽は「神座」が転じたという説があります。神座とは神が宿るところを意味し、神を天から降ろした場所のことです。そこでは巫女が集まった人たちの穢れをはらったり、神の意思を伝えたりして神人一体の宴を催し、そこでの舞を参集者がみんなで楽しんでいるので神楽という言葉が生まれた可能性があるということです。獅子が舞の主役になるのは、百獣の王(ライオン)で人智を超えた力の持ち主であることからです。神社の入口に石彫りの獅子があるのは、魔よけの意味だそうです。
 耳慣れない用語も多く、十分に理解したとは言いがたいのですが、獅子の曲芸や所作はユーモラスで、中に人間が入っているのを忘れさせる動きでした。ちょっと残念だったのは、時間の関係で、ひょっとこの舞が見れなかったことです。
 舞は通しで全部やると約1時間かかるそうですが、今回は語り言葉による解説と主要な舞の所作の実演というコンパクトで盛りだくさんな内容を一時間に凝縮したものなので、これまで見てきた人からも「感動した」という感想が出ました。スタートは夕刻午後6時半でまだ明るかったのですが、盤は外は闇。もし月明かりを浴びながら獅子が舞ったら、さぞかしあでやかではないかと想像しました。
 「保存会」結成40年
 大橋さんによると、羽尾神楽は武水別神社(旧更級郡八幡村、現千曲市八幡地区)への奉納をきっかけに盛んになったようです。同神社は旧更級郡では最大規模の神社で、12月の大頭祭と呼ばれる年に一度の神事には、周辺の村々が村をあげて代表者が参加する祭りでした。
 戦後の高度経済成長とともに羽尾神楽もすたれましたが、「小さいころに楽しくてしょうがなかった獅子舞をもう一度」と思った羽尾地区の有志が保存会を結成し、1969年に再興したものだそうです。八幡村中原地区の伝承者から習いました。現在の主要メンバーの方が、まだ20歳代のころです。保存会結成時の様子を紹介した信濃毎日新聞の記事も残っており、そこでは「郷土の心、生活のにおい」という見出しで復活にかける意気込みが紹介されています。2009年は結成からちょうど40年になります。
 獅子を追いかけた少年時代
 実演解説後の懇親会も、盛り上がりました。子どものころに見た年配のある方は「舞の動作の意味はよく分からなかったけど、ゆっくりした動きだから想像する面白さがあった」と話しました。保存会メンバーのお一人は「子どものころはとにかく楽しくて、練り歩きの後を追っかけていった記憶がある」とおっしゃっていました。郷嶺山は年配の方にとっては、楽しい神楽の舞台という記憶が濃厚です。
 今回の集まりには、残念ながら時間が夜のせいもあり、子どもたちの参加は難しかったようですが、おばあちゃんに連れらてきた一人の女の子は身を乗り出して見ていました。会場を練り歩いた獅子が近づくと、おばあさんにしがみついていました。
 これで約1時間の羽尾神楽の実演解説プログラムができあがったので、保存会のみなさんは「いつか更級小学校でもやれれば」と意欲を燃やしていました。右上の写真はかつて使われていたひょっとこなどの面です。下の写真は、今回の羽尾神楽実演の前、更級観月殿をバックに勢ぞろいした保存会のみなさんです。

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