「さらしな」は再生イメージ音の集合体

三浦茂久・サムネイル 信濃毎日新聞(2012年10月19日夕刊)に大変、興味深い記事が載っていました。太陽の神として現在は知られる天照大神(あまてらすおおみかみ)がもともとは月の神で、日本は太陽より月を信仰の対象にしていたというのです。そう唱える古代研究家の三浦茂久さんの著書「古代日本の月信仰と再生思想」(作品社)を手に入れ、読んでみました。驚きました。「さらしな」という地名自体が月を象徴する言葉だったのです。

 

 三浦さんの研究の基本は、日本の成り立ちを示す歴史書「古事記・日本書記」とほぼ同時代に編まれた歌集「万葉集」の言葉(古代語)を読み解きながら古代日本の精神世界に迫るものです。歴史書と歌集につじつまが合わない部分があるときは、心の真実が描かれた万葉集の論理を優先します。「古事記・日本書記」は、国の成り立ちを国内外に表明するものなので、為政者にとって都合がよくなるよう、なんらかの作為がある可能性があるためです。三浦さんのそのような研究の結果、太陽が地上を照らすと解釈されている「天照す」という言葉は 実は万葉集では、月とセットで使われていることが分かりました。たとえば次の歌です。

    ひさかたの天光(あまて)る月の隠りなば何になぞへて妹(いも)を偲ばむ(2463)

 月の姿が見えなくなってしまって、恋人や妻を思うことがなかなかできない、再び月よ姿を現してくれないかという気持を詠んでいます。もう一つ-

    ひさかたの天照る月は見つれども吾が思ふ妹にあはぬころかも(3650)

 大空を渡っていく月は見たけれども、恋人にはこのごろは会うことができないと月に自分の愛する人の姿を見ている様子がうかがえる歌です。

 三浦さんによると、歌は古代日本人の信仰対象が月だったことを証明する一つの例です。月信仰が太陽信仰に変わるのは8世紀はじめ。中国や朝鮮半島の国々に対して太陽が上る方角の東に位置することから「日本(ひのもとのくに)」と自国名を表明したり、黄金色に輝く仏像をはじめ太陽光を賛美するインドの仏教思想が伝わり、日本を代表する神は太陽の方がいいという判断が天武天皇をはじめとする当時の為政者にあったとためと考えた方がいいそうです。

 さて、冒頭で書いた「さらしな」が月そのものをイメージさせる言葉ということについてですが、三浦さんは本の中で万葉集などに使われている古代語を吟味した結果、「さ」「さら」「しな」は満ち欠けを繰り返す新生、再生の象徴である月をイメージした言葉だとつきとめたことを紹介しています。

 特に「サ」音の響きが重要だそうです。「さなえ(さ苗)」「さわらび(さ蕨)」「さくら」などの接頭音にあるように、サの音は再び新しく生まれる再生、新生(神聖)などの意味を持ち、月の満ち欠けの現象と重ねられて用いられる音でした。「さらさら」「さらす(晒す)」などの言葉にもそれと関連するイメージが抱かれました。「シナ」も、「篠突く雨(シノつくあめ)」などに現代も残るように、繰り返し、再生の意味が込められて使われた音で、月の意味で「シナ」が使われたとする用例を三浦さんはたくさん紹介しています。

 つまり、「さらしな」は「さら」と「しな」という再生イメージ音の組み合わせとなり、再生の象徴である月そのものをイメージさせる地名でもあったことになるのです。(更級への旅新聞159号で、シナには坂、階段の意味があると書きましたが、階段も同じような区画が層を繰り返した地形であることからすると、イメージは重なります)

 「さらしな」という地名は月が美しいからその名ができたのか。当地に先にあって結果的に月を象徴する地名として世に知れわたったのか。どちらが先か分かりませんが、結果的に「月の都」にぴったりの名前だったことになります。万葉集の時代から少し後、和歌に盛んに詠まれるようになる平安時代の人たちも、和歌はまだ詠み上がられて広まる時代だったので、SARASHINAの音を耳にしたとき、月のイメージを抱く感性があったかもしれません。それがさらしな・姨捨を世に知らしめた最初の和歌「わが心慰めかねつさらしな姨捨山に照る月をみて」(作者不明)の創作につながったのかもしれません。

 なお、以前(13/3/10)で持統天皇の本名が「うののさらら」と紹介しましたが、この名前についても三浦さんの著書は月のイメージを反映している可能性があると書いています。あまり詳しくは記されていないので、現段階ではこの程度の紹介にとどめます。信濃毎日新聞の記事をクリックすると、印刷できます。