更旅230号・手塚治虫さんが愛した「更科」

更旅・そばまんじゅう更科samuneiru

 「鉄腕アトム」など数多くの名作を描いた漫画家、手塚治虫さん(1928―89)が好きだった和菓子が「更科」というそば粉入りのまんじゅうだったと聞き、売っている東京・高田馬場の「青柳(あおやぎ)」を訪ねました。手塚さんは1976〜88年までの12年間、通りを挟んで向かいのビルに事務所を置いており、仕事の息抜きに来店し、決まって「更科」を食べていたというのです。
 JR高田馬場駅から徒歩で数分、ショーケースに、せいろの上にのった更科(サンプル)を見つけました。楕円形のほんのりそば色の白い生地の上に「更科」という焼印。幅3センチ、たけ5センチ、厚み3センチぐらい、かわいい感じです。買って帰り食べると、生地はしっとり、もちもちと弾力があり、中は小豆(あずき)の甘いつぶし餡、そばの風味が鼻に抜けます。手塚さんはなぜ更科が好きだったのか? 作り方は?…取材のお願いをしたところ、二代目の飯田幹夫さんが応じてくださいました。
 青柳の周辺には喫茶やレストランなど、仕事の息抜きができるお店がいくつもあり、青柳に手塚さんは午後3時ごろ、おやつの時間帯に週1度ほどやってきたそうです。ショーケースの「更科」を指さして注文し、店奥のテーブル席に座り、飯田さんがサービスで出すお茶をすすりながら、2個ほど食べました。
 青柳は飯田さんのお父さんの初代が大正14年(1925)に創業。「更科」はそのときからの商品です。そばと言えば信州さらしなが有名なための命名でした。「そばにさらしながあるようにまんじゅうにもさらしながあるという感じ」と飯田さん。そばまんじゅうを「更科」と名付けて販売するお店は、ほかにもあるそうですが、「小判型」(飯田さん)の愛らしい形と焼印を押しているのは青柳のオリジナルだそうです。
 それにしても青柳にはほかにも菓子があるのに、なぜ、手塚さんは「更科」を好んだのか。「手塚先生は仕事の最中はチョコレートをよく食べていたと聞いています。もともと甘いもの好きだったんでしょう。手塚先生も関西の地方の出身だったので、つぶし餡が好きだったのでは」
 飯田さんによると、そばまんじゅうは和菓子職人にとって菓子作りの基本でもあるそうです。まんじゅうは砂糖を使って米や小豆、そばなど穀物をいかに楽しくおいしく食べるかを考案してきたもので、更科は餡を包む生地をお米の上新粉とそば粉半々の割合にし、大和芋を加えます。蒸し上げるとふっくら感が出るよう生地を練るには、熟練の技が必要だそうです。
 鉄腕アトムは漫画の中で「高田馬場で生まれた」と描かれ、誇りに思う飯田さんは、地域活性化のため手塚さんの作品に登場するキャラクターを高田馬場駅の壁画にするなど企画をいろいろやってきました。ご商売としてはアトムとウランちゃんをイメージした焼き菓子(それぞれ栗餡、小豆のこし餡)を考案(写真左の奥)、全国から注文があるそうです。
 そばまんじゅう更科は一つ211円(税別)。生地が乾かないよう一つずつケースに入れる生菓子なので原則発送していませんが、ご希望の方には相談に乗るそうです。電話03(3371)8951。(今号のきっかけは長野県千曲市の馬場條さん。長野新幹線の広報誌「トランヴェール」で紹介されていたのを教えてくださいました)

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