尾根を伝い境巡り、児抱岩の永遠鎮座を祈る

  文と写真、千曲市羽尾5区の中澤厚さん、さらしなの里友の会だより15号=2006年秋=から

 大字羽尾地区の境巡り(さかい更級・地図samuneiruめぐり)がいつから始まったのか定かではない。私も昨年(2005年)より代理区長となり、区議員の方々のご協力をいただき、大きな年中事業である境巡りを行うにあたり賛否両論があり協議しました。

 反対の意見には、財産として特にこれというものもない、また千曲市となった現在、その必要なし。従来通り境巡りはやるべきについては、若い者にも知ってほしい、ご養子に来られた方、他地域から来られた方にも知っていただくことが大切だ、ということで決行となった次第です。

 何年か前までは三回に分けて行っていたようですが、最近は二回に分け、毎年九月に行っています。昨年はまず、冠着山の頂上へ午後一時に集合。冠着神社に参拝、主務区長のあいさつの後、境巡りが始まりました。裏側からの児抱岩タテsamuneiru
 しばらくはおもむろに坂井村と上山田の境を主務区長の案内に従い、倒木とバラ藪の中、境杭をさがし、かつ冗談を言いながら元気よく歩きます。第一関門は児抱岩(ぼこだきいわ、右の写真)の下にきたとき。遠く塩崎あたりから見る冠着山と児抱岩のなんときれいなことか。あんなにきれいな麓に住んでいることに誇りを持っていた自分が、この下にきたとき、一瞬心臓が高鳴るのを抑えることができなかった。
 ある記によると、高さは三十㍍、幅十㍍、厚さ十㍍はあるという。その大岩が今や抜け落ちて来はしまいか。と足早にそっと横切った。そしてずっと「永遠に鎮座していてください」と一人、心の中で手を合わせた。
 尾根伝いに東に進むこと一時間。東京電力の鉄塔を過ぎたころより目標がおぼつかなくなるわ、雨は降ってくるわ。川中島合戦のときは戦況を伝えるのろし台にも使われたとされる正城山付近においてはみな無口。このあたりが芝原地区との境。ここから里に向かって下りる。更級小学校の学有林、さらに、かしゃっぱ池を経て初回の境巡りは終了しました。
 そして二回目は今年九月三日。一回目の方向とは逆に冠着山頂から西へ北へと境をたどります。午前の各区防災訓練を終えた後、午後一時に一本松峠に、各区それぞれトラックにて分乗して参集。だれかいわく「この人たち難民か」。一台の車に十数人。これで坂井村、大池、羽尾、須坂、仙石と回るのだから、昨年にくらべたら楽なこと、境に近いところに沿って道路がある。
 所々で車を降りて説明。上の写真は古峠で、峠の由来の説明を受けている様子です。古峠から一本松峠を経て伝っていく境沿いにはユニークな呼び名のポイントがあります。馬落とし(昔の旅人は、愛馬に重い荷を載せてこの道を通りかかった際、幅が狭く疲れた愛馬は足を踏み外した。それでこの地名がつけられたのだろう)。覗き(今は雑木が茂り見通しが悪いが、御麓部落がよく見えるところ)。
 さらに下って大池のマレット場の横を通り郷津に。この地籍には大量の湧き水があり、昔は御麓、原、新田地籍の飲水と農業用水に活用された。そして高速道路の姨捨サービスエリア上り線の上に出る。このあたりについては大池出身の方がおり、大助かり。
 後は代までほぼ日常で認識しているため問題なしと了承。ただ、地図上の境と現実との間には差があり、入り込んだ境もあった。大字羽尾境巡りを踏破し終えた後の慰労会は満足感いっぱいでビールと冷えた日本酒のうまかったこといまだに忘れません。