62号・次の時代を用意する月

  「太陽の文化」と「月の文化」が相互に補い合いながら推移してきた日本の歴史。前回からさらに時代をさかのぼってみます。
 金閣と銀閣
 室町時代です。
 室町時代は一三三八年、初代将軍、足利尊氏が京都に幕府を開いてから約二百年間です。最も繁栄したのは、三代将軍義満の時代、後醍醐天皇が政治的権力を武士から朝廷に戻そうと京都に対して南に位置する今の奈良県吉野町に拠点を設けて始まった南北朝時代を統一してからです。中国大陸の明王朝との勘合貿易を実現し、その財力を費やして北山地区につくった金閣寺(鹿苑寺)が、足利幕府の最も輝いたモニュメントです。これは太陽の文化の象徴です。
 しかし、その栄光は長く続きません。義満の孫にあたる義政は政治不信と財政破綻を招き、それが幕府に代わる影響力の獲得を狙った有力武家勢力の争い「応仁の乱」を引き起こし、室町幕府は崩壊。織田信長が一世を風靡する戦国時代へと入っていきました。
 そうした時代を象徴するのが、義政が京都の東山地区につくった銀閣寺(慈照寺)です。月の上がり端を楽しむ「月待山」を設けるなど、月を存分に鑑賞するための造りになっているそうです。太陽の金閣寺を意識した月の文化の建築物と言っていいと思います。
 日光東照宮
 次は江戸時代です。
 戦国の乱世を統一した徳川家康でしたが、日本は古来、天皇が中心の国。家康も征夷大将軍という役職を朝廷からもらい天皇の代理として政治を行う立場でした。。神道を深く勉強していた家康は、自らが神になり、徳川の歴代将軍が神の末裔になることによって天皇の権威に対抗しようと考えたとされています。
 そのモニュメントが日光東照宮(栃木県日光市)です。東を照らす太陽という意味の名前が意味深です。天皇のいる西に対して東という位置づけだと思われます。家康の死後、その建造様式は華美華麗、豪華絢爛に再建されています。明らかに政策的な意図を感じます。
 一方、時代が成熟し、後半になると、俳諧が盛んになります。「月の詩人」とも言われる松尾芭蕉に代表されるように、この文学は基本的に月の文化です。
 そして江戸幕府が行き詰って崩壊すると、明治天皇が太陽神である天照大神をまつる伊勢神宮(三重県伊勢市)を初めて参拝します。文豪、島崎藤村は小説「夜明け前」を執筆しました。この小説は新時代は太陽の局面から始まることを意識したタイトルです。
 さらに戦後、前回触れましたように、作家で現在は東京都知事の石原慎太郎さんの「太陽の季節」が登場しました。 
 藤原道長と月
 おおざっぱにさかのぼりました。触れていない時代があります。まだ、自信を持って書けないからです。ただ、言えるのではないかと思うのが、室町より前の平安時代の文化の中心を担った宮廷は月の文化だということです。
 紫式部と清少納言がそれぞれ著した「源氏物語」と「枕草子」はいずれも宮廷を取材したものと言えるのですが、宮廷の風俗は月の文化が反映されています。平安が最も文化的に輝いた中期、最高の実権を握っっていた藤原道長の歌「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思へば」が象徴的です。日本という国の頂点にいる自分を、太陽にではなく月に仮託したことからも言えます。
 しかし、実は天皇家の先祖神は、太陽の神である天照大神です。太陽の神を先祖にしながら、宮廷では月の文化というのは不思議です。都から遠い伊勢神宮にまつっておくことでバランスをとっていたのでしょうか。徳川政権は朝廷の月の文化に対抗するため日光東照宮をつくることによって、太陽の文化を強調したのです。
 仏教と月
 この経緯から考えられることは、太陽が新時代を象徴し、その行き過ぎを制御するように月の文化が覆いかぶさってきたことです。「盛者必衰」という言葉がありますが、太陽が月にとってた代わられてきたのが日本の歴史と言えます。もっと積極的に言えば、月が次の時代や文化を用意してきたのでした。
 来る日も来る日も、朝は日が昇り、太陽が沈むと月は姿を現します。日々、太陽と月の周期運動があることを考えれば当然の摂理です。太陽が神道的なのに対し、月は仏教的です。日本の歴史年表上では仏教の伝来は西暦五三八年。月が日本人にとって独自の意味を持つようになったのは、仏教の影響が強いのではと思います。「真如の月」という言葉があるように、人間としての円熟、完成の姿を月になぞらえる文化は仏教の影響を受けているようです。神仏習合という精神文化は日本人特有のバランス感覚を生んだかもしれません。
 なぜ月の文化は補完系、制御系なのか。月の光は回り込む感じ、すべてを包み込む感じがしませんか。月の明かりを感じさせる裸電球には、切なさ、哀しさが感じられます。街中にある飲み屋の赤ちょうちんの明かりもそうです。
 傷口は太陽の強い光だと焦げてしまいそうですが、月光はやさしく瘡蓋にしてくれる感じがします。月は癒し系、傷口を保護して新しい皮膚を用意します。月は見ながら見られているという感覚を持たせる星です。だから、月は「自分を映す鏡」とも言われました。太陽は光が強すぎて見つめられません。「お天道さまはなんでもお見通しだ」という言葉がありますが、太陽の場合は見られる方が強くて一方通行の感じがあります。
 太陽で突っ走った戦前
 気をつけなければいけないのは、次の時代を用意するのが月だとしても、月を逃げ場とすると悲劇が起きていることです。足利義政は自分の政治的な手腕の不足から、アルコール浸しになるようにおぼれて銀閣寺を建立したとされています。その結果が応仁の乱、それに続く戦国時代です。応仁の乱で京都は焼け野原になり、前時代までに記された文書類の多くが焼けてしまったそうです。
 「皇民化政策」の一環で、天照大神をまつる神社の建立を中国、朝鮮で進めた戦前は、太陽で突っ走ったと言えます。そこには敗戦の不幸が内臓されていました。
 上の写真は天照大神をまつる伊勢神宮の正殿、右は天照大神の弟とされる月読命をまつる月読宮です。月読宮は伊勢神宮の近く、別の敷地に建立されています。

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