81号・「田毎の日」で新年を迎えた芭蕉
「田毎の日」という言葉があります。松尾芭蕉が元禄2年(1689)の元日に詠んだ...
「田毎の日」という言葉があります。松尾芭蕉が元禄2年(1689)の元日に詠んだ...
松尾芭蕉が当地で残した「俤や姨ひとりなく月の友」の句は、柱状の大き...
松尾芭蕉との縁の地として知られるさらしな・姨捨ですが、信濃国柏原(長野県上水...
当地で松尾芭蕉が詠んだ句「俤や姨ひとりなく月の友」(俤句)は、千年以上前に当地...
芭蕉が当地で詠んだ代表句「俤(おもかげ)や姨(おば)ひとりなく月の友」に強く...
江戸時代の俳人、松尾芭蕉の句で当地にちなんだ代表的なものが次の句で...
歴史上、信濃の国と深い縁のある皇族は宗良親王です。同親王は、鎌倉幕府の滅亡後、...
現代人に急増している心の病「うつ」には、観月の文化の衰退もかなり影...
菅原孝標女が自分の日記に「更級」をうたったのには、彼女の叔母にあた...
「さらしな」という言葉がなぜ歌枕になったのか。どうして京の都人にとって特別に...
菅原孝標女が京の都で生きた平安時代、さらしなの里(旧更級村)はどんなところだっ...
菅原孝標女は少女のころから物語が大好きで、特に「源氏物語」には夢中...
菅原孝標女の夫は信濃守として信州に赴任したことがありました。守とは行政長官、現...
菅原孝標女が自分の越し方を振り返った文章に「更級日記」というタイトルをつけた理...