20号・栃木県にある「さらしな」の物語

更旅20 「更級」にまつわる昔話として異色なものがありました。題は「さらしな村のよしともさん」。このお話を教えてくださったのは栃木県高根沢町にお住まいの荒井喜多さんです。喜多さんは大正12年(1923)年、高根沢町から少し東寄りの烏山町のお生まれで、小さいころに聞いて覚えていたものだそうです。

 筑紫の国から

 お話はこう始まります。

 むかしむかし信州信濃の国にさらしな村神社がありました。そのさらしな村神社に伝わるお話です。         

  主人公は今の福岡県にあたる筑紫の国のお坊さん。あるとき、そのお坊さんの不始末から寺が火事になり、全焼してしまいました。檀家の人たちが集まって新しいお寺を再建することになりました。そのとき、お坊さんは檀家の人や村の人に「お寺を建てるのを一年待ってください。一年間、村をはなれて多くの人びとにお布施をお願いしてきます。それで集まったお金を建設費の一部に入れてください」と頼みました。

 それでお坊さんは全国への旅に出たのですが、途中で正直者で知られるさらしな村神社のよしともさんに、それまでの旅で集めたお金を預け、さらに旅を続けました。

 しかし、戻ってきたときにお坊さんはひどい仕打ちを受け、死んでしまいます。お坊さんの死を知らないよしともさんにも不幸が相次いで訪れます。そして…。

 お坊さんは旅の道中で、おいはぎにあったり、幼子を連れた乞食の男や片足の船頭さんと出会い親切にしたりされたりと、さまざまな体験をします。とても人間味あふれるお話です。

 身振り手振りの熱演

 喜多さんは7歳(1930年)のとき、このお話に出会いました。年初めのお祭りで毎年、近くの荒井清蔵さんという白ひげの老人がしてくれました。お話は3時間近くにも上り、いつも夜、夕飯が終わったあとからでしたから、小さい子にはつらい時間でしたが、清蔵さんのたくみな話術と身ぶり手ぶりの熱演で眠ることはなかったそうです。

 全部で5回ほど聞き、暗記してしまいました。烏山町付近では当時、冬になると若い娘たちは乾したタバコの葉を1枚ずつ広げて重ねるのし作業を手伝っていたのですが、喜多さんも長じてその仕事をするようになると、単調な仕事でも楽しくするために自ら率先して、このお話をお仲間に披露していたそうです。

 私はこのお話を、元長野県教育長の斉藤金司さんを通じて知りました。喜多さんは5年ほど前、五十数年務めた助産婦の仕事を辞め、この物語に登場する「さらしな村神社」が信州に本当にあるのか確かめたいと思い覚えているお話を原稿用紙にしたため、斉藤さんに送ったのだそうです。

  確かに「佐良志奈神社」はあるのですが、このお話を知っている方は更級地区にはどうもいないようでしたので、ルーツをたどって2003年5月、私も喜多さんの生地を訪ねました。

 サケをお祝いに

 喜多さんのふるさとが、このお話の中のエピソードにつながる風土であることがよく分かりました。

 たとえばお坊さんをだまそうとしながらも憎めない狐が登場するのですが、喜多さんにとっても狐は身近な生き物でした。烏山地方は細長い丘がたくさんあるのが特色です。喜多さんが幼少のころはこの丘の木々の間を光が走りぬけることがあり、お父さんから「狐の嫁入りだ」と教えてもらったそうです。道端で狐とよく目が合うこともありましたが、その時は「だまされないぞ」とにらみ返していたそうです。

 烏山にはまた、鮎の名漁場としても知られる那珂川が流れており、この川には両足のない船頭さんがいたそうです。喜多さんも渡し舟を利用しており、助産婦の仕事についたときは、その船頭さんがお祝いに那珂川を遡上してきたサケを捕まえてプレゼントしてくれたそうです。

 荒井清蔵さんのお宅もお訪ねし、ご子孫の荒井清茂さんと、清茂さんの奥様の栄子さんにもお話をうかがうことができました。

 清蔵さんは、江戸末期の文久2年(1862)のお生まれです。旅好きで、一度家を出ると1カ月くらい帰らなかったそうです。善光寺や姨捨山の話も聞かせてくれたそうです。「何百年後には空に物が飛ぶ」などと将来の世の中を語るのがとても好きだったとのことです。昭和21年(1946)、85歳でお亡くなりになりました。

 唯一の娯楽

 今ではもうこの物語がどのように誕生したのか、確かなことは分かりません。ただ、「旅のお坊さん」について、「筑紫の國」というとても遠方の地なのに清蔵さんはお寺の具体名挙げ、「○○法師」と名前をつけて呼んでいたことから「清蔵さんもだれか他の人から伝え聞いたのでは」と喜多さんは考えています。また、清蔵さんが旅の途上、更級地区の佐良志奈神社に立ち寄った可能性があります。

 それにしても400字詰め原稿用紙にして25枚に上る物語をよくぞ喜多さんは覚えていらしたものです。そのわけがうかがえるお手紙を喜多さんからいただきました。中の一節です。

 「私の育った幼い頃は娯楽と言ふてもラヂオもテレビもない時代でした。大人は旅芸人の芝居や浪花節、琵琶、三味線等の楽しみがありましたが、子供には昔話が唯一の娯楽でした。それも近所の老人や農家のおじいちゃんで話上手な人から聞く話でした」

 喜多さんは今、地元の民話を語る会で「さらしな村のよしともさん」を披露しているそうです。やはりこのお話に似たものを覚えている方が何人かいらっしゃるということです。覚えているのは大体喜多さんの年齢、つまり80歳以上の方々だそうです。

荒井喜多さんのお話は、和綴じ製本しました。佐良志奈神社の社務所で1冊1000円でお分けしています。(2005年8月28日記)

 画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。