102号・漫画家のすずき大和さんがロゴマーク制作

 「まんが松尾芭蕉の更科紀行」の中に登場する芭蕉のキャラクターを使った千曲市の観光ロゴマークができあがりました。著者のすずき大和さん(写真の右)が千曲市から依頼を受け制作しました。満月の中で越人と権七が芭蕉に随行している構図です。あわせてこれに添えるキャッチフレーズ「芭蕉も恋する月の都・千曲市」もすずきさんが作りました。すずきさんが近藤清一郎市長と手にしている額の中にあるのがロゴマークで、絵の上部に月に沿ってキャッチフレーズが並んでいます。
 赤いひょうたん
 ロゴマークというのは地域の歴史・文化的な遺産などを踏まえイラストタッチに表現するもので、地域の現状だけでなく未来の目標を落とし込み内外の人たちに地域への愛着を持ってもらうためのものです。当地がこれまで宣伝するときに使ってきた「名月の里」のイメージを、俳人、松尾芭蕉が来訪した地であることを強調することでパワーアップしたいという狙いがロゴマーク制作には込められています。シリーズ5などで書きましたように、当地は芭蕉が「奥の細道」の旅の直前に選んだ旅先で、自分の文学を完成させる上でとても重要な位置をしめていたからです。
 旅に同行した越人がどんな人物なのかについては、シリーズ82をご参照ください。もう一人の権七の名前は「更科紀行」の中には記されてません。資料をあたる中で「権七ではないか」という記述があったことから、この名前で本の中に登場させたと、すずきさんはおっしゃっています。ロゴマークはその権七が水筒の赤いひょうたんをぶささげているのも特徴で、この赤色が全体のアクセントになって、親しみが増しているように思います。
 生涯恋愛の里?
 次に「芭蕉も恋する月の都」というキャッチフレーズの意味するところ、つまり「恋」という言葉を使った理由についてです。すずきさんのお話を総合すると、「恋」は、「恋しい」という言葉にあるように「離れているものに対して思い慕う感情」です。現代は男女間の思慕感情の意味が強くなっていますが、今でも「母が恋しい」「ふるさとが恋しい」などと、かつて自分が慕った人や故郷への懐かしさを表現するときに使うことがあります。
 特にこの「母が恋しい」という感情は、「まんが松尾芭蕉の更科紀行」で描き出された芭蕉の気持ちです。長楽寺(旧更級郡八幡村)での感慨をもとに詠んだ「俤や姨ひとりなく月の友」の句には、5年前に亡くした母親への思慕の感情が反映されていることを、すずきさんは本の中で情感豊かに描いています。芭蕉は当地で「母が恋しく」、涙が落ちてしょうがなかったのです。
 「恋しい」対象のもう一つの代表に「月」があります。「月」は和歌や俳句の中にもっとも登場する言葉で、信州では「さらしな・姨捨」とセットで詠まれた句歌の数が群を抜いています。「月」を詠むときには「さらしなの里」が多くの作者の頭にイメージされた可能性があることから、千曲市は「恋」という言葉と親和性があります。
 さらに「恋愛」です。JR姨捨駅の利用者の中には、スイッチバックの構造のおかげで「恋」を成就させ、結婚した方がいます(シリーズ24を参照)。現在は還暦を迎えたシニア夫婦です。このエピソードをすずきさんにお話したところ、「姨捨駅に来ると、『恋』がかなう」という物語の発信も可能だと、おっしゃいました。「生涯恋愛の里」でもいいかもしれません。
 このロゴマークとキャッチフレーズは今後、千曲市の観光関連の印刷物に掲載されます。
 すずきさんはまた、ことしの観月祭(10月3、4日)にあわせ、千曲市の名所にちなんだカラーの作品2点を新たに描き、市に寄贈しました。千曲市ふる里漫画館(稲荷山地区)で開催の「『まんが松尾芭蕉の更科紀行』作品展」で展示されています。
 1枚は長楽寺の姨岩をモチーフにしたもので、タイトルは「更科紀行・姨捨山の月」。もう一枚は千曲川がモチーフの「更科紀行・旅立ち」です。今回の作品寄贈にあたっては「顔がなくては始まらない」と「まんが松尾芭蕉の更科紀行」の表紙となったカラーの原画も千曲市に寄贈してくださいました。
 すずきさんと近藤市長の写真は、作品展初日の9月17日、ロゴマークの披露もかねて催されたセレモニーの一場面です。すずきさんはこの日のためにパートナーの鈴木悦子さんが2週間かけて作った芭蕉装束を着て来場しました。すずきさんと近藤市長の間の奥に見えるのが「更科紀行・姨捨山の月」、その左側が「更科紀行・旅立ち」です。10月12日まで開催され、あわせて「まんが松尾芭蕉の更科紀行」の原画、約40枚も展示されています。千曲市の教育委員会や観光課、文化振興事業団などのお力添えで実現した企画です。
  ふる里漫画館での作品展の開催はご縁が重なっています。同館は稲荷山地区出身の風刺漫画家、故近藤日出造さんの業績を顕彰するために造られた公共施設でもあり、生前の近藤さんと親交が厚かったすずきさんのご尽力で建設がなった経緯があります。芭蕉も「更科紀行」の旅で、善光寺に足を伸ばしたときは同館沿いの善光寺街道を歩いた可能性があります。
 若返りの里? 
 東京からおいでになったすずきさんのお話の中で特に印象深かったのは、姨捨は「若返りの里だ」という指摘です。一般的に「老人を捨てる」意味に解釈されていますが、すずきさんは、姨の心、つまり年老いてくると抱きがちな悲観の気持ちや老醜といわれるものを捨てに来る所が姨捨で、来た人は若くなって帰っていった所だというのです。年をとってもここに来れば若返るなら、永遠に死なないわけで、「不老長寿の里」にもなります。
 これは言葉遊びではないと思います。というのは平安の古代から当地を実際に訪ねたことがあるなしにかかわらず、さらしな・姨捨を歌に詠んだ人たちは当地に身を置くことによって、絶望したのではなく安寧の気持ちになっていたことがうかがえます。すずきさんの指摘を聞き、南北朝時代の宗良親王の歌(シリーズ75)や嘆きの舞台として当地が選ばれたこと(同78)は、当地が「若返りの里」でもあったことの証拠でもあると思うようになりました。
 すずき大和さんの描き出す人物の魅力は、かわいくて品のあるキャラクターが、空間や間をたっぷり使い、ユニークな発想と大胆な視点の中で描かれることです。とかくこれまで深刻でおどろおどろしいイメージの強かった姨捨の世界を、明るく楽しく現代的に見せてくれています。「更科紀行・姨捨山の月」などカラーの3点は、「『まんが松尾芭蕉の更科紀行』作品展」終了後も、常設展示されるそうです。 (2009年9月30日記) 

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