更旅59号 「更級」にあった救済のイメージ

 月も出ていない暗闇の夜、年老いた独り身のわたくしのところに、あなたはどうして訪ねておいでになったのですか。
 今から約1000年前の平安時代に書かれた「更級日記」所収の和歌「月も出でで闇に暮れたる姨捨になにとて今宵訪ね来つらむ」を現代語にしたものです。歌の中で「姨捨」という言葉が「月」とセットで使われていることから、著者は更級の姨捨山をイメージしながらこの歌を詠み、それで更級日記というタイトルが決まったとされています。
 しかし、歌のどこにも「更級」という言葉は出てこないだけでなく、更級日記の本文中にも「更級」という言葉は見当たりません。
 原稿用紙90枚
 著者は「菅原孝標女」という女性です。平安時代、女性たちは名前を持たなかったため、肩書きや父親との関係を表す言葉が使われていました。「女」とありますが、これはめかけでも不倫相手でもありません。「むすめ」と読みます。つまり菅原孝標という男性の娘ということです。  菅原孝標は平安時代の貴族で、役人でした。地方を治める高級官僚として今の千葉県(上総)に赴任したことがあったのですが、女も少女時代に一緒に赴任しました。当時、京の都では紫式部が書いた「源氏物語」がとても話題になっており、物語が大好きな女はそれが読みたくて仕方がありませんでした。
 菅原孝標女が来し方を振り返った更級日記は、このように千葉でとにかく源氏物語が読みたくてうずうずしていた少女時代のことから記述が始まります。全体で400字詰め原稿用紙約90枚という中編です。最初の約五分の一くらいは、父親の任が解けて都に戻るまでの、今の東海道をたどる旅でのエピソードなどが紹介されます。それから都での宮仕えの仕事、結婚…と時系列で自分の来し方をつづっていきます。内容は自分の思うようにならなかった半生の回顧、阿弥陀如来に信心を深めていったことなどです。
 そして、日記の最終盤、夫を亡くして独り身になったわが身を描写する晩年の心境として、冒頭の和歌「月も出でで闇に暮れたる姨捨になにとて今宵訪ね来つらむ」が登場します。この歌を作らなければ、ほかのタイトルになった可能性があります。
 読者意識  
 本のタイトルは、とても大事なものです。手にして開いてみたくなるように目を引き、耳にも心地よいものであること、さらに全体の内容を包み込めることが必要です。特に小説などいわゆる文学というジャンルでは、本文の中にまったく出てこない言葉をタイトルにすることがよくあります。これは読者のイメージを固定化せず複雑なものにする狙いがあります。
 千年も前に、更級日記はそうしたメカニズムを利用してタイトルが決まっていたわけです。更級という言葉には本文の全体を包括する役割があったのです。「老残」という言葉で菅原孝標女の晩年をくくる人もいますが、更級日記というタイトルを付けることによって、そのイメージは変わります。更級ということばには救済のイメージがあった可能性があります。
 今でも更級日記は多くの読者がいます。手軽な分量であること、そして女性の気持ち、悩みが現代人とさして変わりがないこと…。1000年前の一人の女性の心のありようと変遷をたどれる貴重な日記です。
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 菅原孝標女が生まれたのが1008年。ですから2008年は生誕千年となります。更級日記の内容や更級日記にまつわるエピソードなどから、「更級」の魅力を明らかにしていきたいと思います。(2007年11月11日記)画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。