103号・謡曲「姨捨」の舞台、冠着山頂

  冠着山(別名・姨捨山)の山頂にある冠着神社の手前に、ぽっこりした石があります。左の写真、ヒノキの前で顔を出している石です。歩くときに引っかかったりして邪魔だなと思うことが多かったのですが、山頂でのヒメボタル観察(シリーズ97)をきっかけに、能舞台のシナリオでもある謡曲「姨捨」(同32)を読み直し、この石には特別な意味があるのではないかと思うようになりました。
 山体そのもの?
 新編日本古典文学全集(小学館)の中の「謡曲集①」に収載された「姨捨」では、姨捨山に捨てられた老女は「執心石となって…」という記述が出てきます。これは「執心が石となった」という意味です。
 「執心」の意味は辞書によれば、物事にこだわる心のことですが、迷いによる執着、成仏を妨げる執念のことではないかと思います。シナリオの中では、老女の甥が、腰が曲がった同居の老女をうとましく思う妻に「老女を山に捨ててきて」と頼まれ、実行してしまうのですが、甥は小さいころ伯母にあたるこの老女に育てられたことも明かされます。それなのに…という悔しさと甥の妻への恨みつらみなどが、「執心」という言葉に集約されているように思います。老女が毎年中秋、姨捨山に姿を現すことも紹介されるのですが、それは執心の闇を晴らすために―とも使われる言葉です。
 捨てられた老女にまつわる岩としては長楽寺(旧更級郡八幡村、現千曲市)の境内にある「姨岩」がよく知られています。これは捨てられた老女が積み重なってできたという伝説もあります。
 しかし、謡曲「姨捨」で描かれる物語の舞台は、「嶺平らかにして万里の空も隔てなく…」とあるように、頂上が平坦で、東西南北が広く見渡せる冠着山の山頂の光景とぴったり合っています。そのため、冠着神社の前にあるこの石が「石になった老女の執心」のように思えてきました。これを「しゅうしんいし(執心石)」と呼ぶことにしました。
 幅70㌢、長さ120㌢、最高部40㌢くらいです。山頂には、ほかにも草が生えない石の面がいくつか見えるのですが、この執念石だけがこんもりと盛り上がっているので、この下、地面の中には南極の氷のように、どでかい岩が広がっているような錯覚も覚えました。そうすると、石ではなく岩、ひょっとしたら、冠着山の山体そのもの?―などと想像をたくましくしました。となると、この石は岩の一部なので、「執念岩」と呼ぶほうがいいかもしれません。
 女郎花も蝶も
 謡曲「姨捨」は、中秋の名月を姨捨山で見るため、はるばる京の都からやってきた旅人を、さらしなの里に住む老女が迎えるところから始まるのですが、老女はさらしな・姨捨の月の美しさを語った後、盛りをすぎた女郎花のようなこの身を見せるのは心苦しいけれど月と一緒に遊びたい―と言って舞を始めます。

 シリーズ100で触れたようにオミナエシが気になり始めていたので、ことしの中秋を前にした九月下旬、冠着山にも女郎花はないかと探しに行きました。ありました。右の写真です。一本立ちの清楚なものです。
 謡曲にはまた、「蝶のように舞い遊ぶ」という表現も出てきます。その蝶もいました。中央の写真です。アゲハチョウがアザミの蜜を求めて次から次へと舞っていました。女郎花と蝶の二点セットは、鏡台山(シリーズ99)でも体験しました。千曲川を挟み、旧更級・埴科両郡を代表する二つの山で出会えたのは意味深です。
 謡曲「姨捨」の見所は月夜のもとでの老女の舞ですが、物語の舞台はこうした昼間の光景も踏まえ設定された?、松尾芭蕉が「更科紀行」に「ひょろひょろとなお露けしや女郎花」の句を盛り込んだのは、「姨捨」の内容にも影響された?と飛躍して考えました。
 老女は都の旅人に舞を披露し終えると、シナリオでは「姨捨山となりにけり」という言葉で幕が閉じられます。これは老女が姨捨山になったという意味です。「執心岩」が老女の化身であっても不思議ではないかもしれません。
 上の写真の手前の石は注連張石と呼ばれます。毎年7月27日に執り行われる冠着神社の例大祭で注連縄を張り替えています。これは置いた石です。右奥の建物が冠着神社です。

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