更旅154号 「さらしな」の純白イメージで「更級日記」?

  平安時代に書かれた日記文学「更級日記」。なぜ、当地の「更級」という地名がタイトルに採用されたのかについての理由は、終末部に「月も出でで闇に暮れたる姨捨になにとて今宵訪ねきつらむ(月も出ていない真っ暗闇の晩に、あなたはなぜこの捨てられた老婆のもとを訪ねてきたのですか)」という和歌が出てくるためとよく説明されます。作者である菅原孝標女(以下、孝標女)が自分の境遇を重ねた「姨捨山」が更級にあることからの命名ということです。
 シリーズ153で紹介した「藤原頼通の文化世界と更級日記」(和田律子著、新典社刊)を読み、理由はほかにもあるのではと思うようになりました。孝標女が執筆中に感じていた白のイメージ」を反映させやすい言葉が更級だったのではないでしょうか。更級日記の中で白色を効果的に使っている表現があるからです。「更級」という言葉の持つ白のイメージと、創作上のイメージが重なっていたことも、「更級」を日記のタイトルに選ばせた補強理由である可能性があります。
 白い山、水、砂、月光…
 著者の和田さんが白色のイメージについて特にこだわって論考しているのは、孝標女が少女時代を過ごした東国(現在の千葉県市原市)から京都に帰る途中の東海道で見た「富士山」をめぐる記述です。そこでは富士山の姿を「紺青を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色濃き衣に、白き衵着たらむように見えて…」と記しています。和田さんはこの「白き衵」に注目しています。
 「衵」とは重ね着を構成する一枚の着衣のことで、童女の姿を思い起こさせる言葉とみなされることがよくあるそうですが、和田さんは平安時代の服飾に関する文献で「衵」の用例を調べ、老人男性貴族の着衣と解釈するのが妥当だと指摘します。富士山全体の色「紺青」については上の写真をご覧ください。江戸幕末まで天皇の住まいだった京都御所を構成する一つの建造物「小御所」の内部にある富士山のふすま絵です(毎日新聞社刊「皇室の至宝6」から)。江戸時代に描かれたもので、平安時代の絵ではありませんが、白い雲の上下にある青色の帯びような線も雲として描かれており、この色が「紺青」です。紺青と白の色の取り合わせは一般的な貴族の衣装とはかなり違うので、孝標女はこの表現に特別な意味を込めたのではないかと和田さんは推測しています。
 富士山は都の人にとって特別な山で、霊山、神の山であったそうです。そうした富士山のイメージが孝標女には「白き衵」、つまり威儀を正し盛装した高貴な男性老貴族の姿とみ見立てられた可能性があるということです。一方で、富士山は孝標女の時代にはよく知られていた「竹取物語」で天に上っていったかぐや姫をしのび、かぐや姫の手紙などを焼いた、天に最も近い山として紹介されていました。このことから「白き衵」は、富士山を霊性とロマン性をあわせ持つ特別な山としてとらえようとする孝標女の作家意識が働いた表現ではないかと和田さんは分析しています。
 富士山の記述のすぐ後には、川(大井川)の水の流れを「白」と紹介するくだりがあります。「水の、世のつねならず、すり粉などを濃くして流したらむやうに、白き水はやく流れたり」と、大井川を「白い水」が流れている川と記し、富士山の白色のイメージを増幅させています。水面に陽光が当たると、反射光で白色の空間になったような感じがするので、孝標女はそうした感覚をこのように表現したのでしょうか。
 白色はほかにも登場します。孝標女が東国から京の都に帰るまでの旅の記述の中で、浜辺の砂を「いみじう白き」、月の光も「白く清げ」と言い表しています。「白い」とは記されないものの、「月がいみじう明き」と描かれる場面もいくつもあり、これも白色のイメージではないかと私は思います。
 富士山と姨捨山
 和田さんは論考の中では触れていませんが、私は当時の都の人たちが白色に対し持っていた美意識も更級日記命名の背景にあるでのはと思います。白は、神道の神官たちが着る装束の色です。詩歌を通じて日本人の美意識を考察した俳人、宮坂静雄さんの本「季語の誕生」(岩波新書)によると、和歌の代表的な主題である花や雪、月は白色のイメージで共通しています(更級という言葉が想起させる白色のイメージついてはシリーズ72でも書きましたので、ご覧ください)。
 更級日記では終末部で「(更級の)姨捨山」が出てくるわけですが、姨捨山は都の人にとって富士山と同じように特別な山だったので、和田さんの論考をもとに、孝標女が考えたかもしれないことを想像しました―わたしが感じた富士山の姿をはじめとする白いイメージは「姨捨日記」と書くより、白くて清れつなイメージの「さらしな」という言葉を使うほうがタイトルとしてはいいな、姨捨山にはいつも「さらしなの…」という言葉が頭に添えられるので、文章の中で更級についての記述がなくても読者は思い起こせる、その方が読者も面白がってくれるのでは…。
 まったくの想像です。ただ、「富士」という山とその近くを流れる水の流れ、月の光の組み合わせは、「姨捨」という山と千曲川の流れ、月という当地の3点セットともぴったりなのも意味ある関連だと思います。
 右の写真は「さらしな」が都の人にとって白のイメージだったことを分かりやすく見せてくれる佐良志奈神社(千曲市更級地区)の社標です。神社名の面の左側の面に刻まれた和歌「月のみか露霜しぐれ雪までにさらしさらせるさらしなの里(月ばかりでなく露も霜もいつの間にか寒さで雪になり、さらしなの里に降っている。ほんとうにその名前にふさわしく純白の美しい里であることよ)」が白のイメージを強調しています。京都の女性貴族歌人が江戸幕末、同神社宮司、豊城直友さんの求めに応じて作りました。詳しくはシリーズ3をご参照ください。

 画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。