156号・白一色に染め上げられた光源氏

 平安時代の日記文学「更級日記」がなぜタイトルに当地の名前「更級」を採用したのか調べるためいろいろな本にあたっているうちに、「源氏物語」の主人公、光源氏の姿とその周辺の空間が白一色に染め上げられた場面が物語の中にあるのを知りました。「平安朝の文学と色彩」(伊原昭著、中公新書)という本がその場面を紹介しており、平安時代の都の貴族たちが「白色」に抱いていたイメージがよくうかがえます。
 白い雪、手紙、梅、衣装
伊原さん(本発行の1982年時点で梅光女学院大学教授)は源氏物語に登場する人物がどんな色の服装で描かれているのか論考しており、光源氏を白に染め上げる場面は全54巻中の34番目の巻「若菜上」の中に出てきます。それまでの巻で光源氏はいろいろな女性と恋の遍歴を重ねており、「若菜上」では新たに光源氏の兄、朱雀天皇の娘、女三の宮と夫婦関係になるのですが、そこで光源氏は白一色の世界の中に描かれます。
季節は白梅の花が咲き出した春先。朝方、雪が降っていたことを知ると光源氏は別の屋敷にいる女三の宮に、「あなたと私の間を行き来できないほど雪が降ったわけではないが、あなたのもとに行きかねて恋しさに心が乱れています。ちょうど今朝の淡雪が降り乱れているように」との和歌を詠み、その和歌を白い手紙に書き、折り取った庭の白梅の枝を添えて、使者の宮のもとに持たせます。
光源氏はその後、白梅の枝を手にして庭を見やりながら、空から降ってくる雪を眺めるのですが、そうした光源氏は純白の衣装を身にまとっい、「だたもう艶麗な優美なご様子である」と描かれます。
「若菜上」に描かれる光源氏は40歳ごろ、身分も天皇に準ずるほどの高い地位にのぼり、「大人の男として一番盛りのころ」と伊原さんは指摘します。そして、そんな光源氏は「人びとの憧憬のまとで、光源氏の完璧な理想像を物語の作者である紫式部は白一色の衣装で現わしている」と続けています。
兄の娘と結婚するというのは現代の常識からすると不思議ですが、平安時代は一夫多妻制で女性が生きていくためには力のある男性と夫婦関係になることが必要でした。女三の宮は十代半ばと若かったのですが、すでに母は亡くなり、父親である朱雀天皇が娘の将来を心配して光源氏に妻にしてくれるよう頼んだわけです。
 純白イメージの名前
この伊原さんの論考を読み、「源氏物語絵巻」では光源氏がどのように描かれているのか調べました。「源氏物語絵巻」とは、源氏物語の内容を、極彩色の絵と文章を引用して見せるために作られた巻きものです。平安時代後期からその後江戸時代までいろいろな人がたくさんの絵巻を作っていました。
ちょうど、朝日新聞出版が「絵巻で楽しむ源氏物語」というムック冊子を週刊で発行を始めています。そこには日本をはじめ海外の美術館などに残る源氏物語の絵がカラーで紹介されており、純白のイメージで描かれる光源氏の姿が印象的なの上左の絵です。これは室町時代後期、絵師の土佐光信が描いたものです。白い衣装に描かれている文様は、皇族男性に許された小葵だと思われます。この場面は「若菜上」を描いたものではありませんが、雪の積もった梅の枝を家来がつついています。それを眺める光源氏が描かれています。(この場面は第6巻「末摘花」です)
NHKが最古の絵巻(徳川美術館と五島美術館所蔵、国宝)の色を復元した本「よみがえる源氏物語絵巻」(上右に表紙の写真)も読みました。すすけたり変色した部分を科学的に色の成分を分析し、描かれた当時の色を再現した絵が掲載されています。その絵を見ると、白い印象を強調する場面がいくつも出てきます。満月も白く描かれています。表紙のタイトルの「よみがえる」の下で赤子を抱いているのは光源氏です。
「光源氏」という名前自体が白色を強くイメージさせます。「光輝くように美しく麗しい」と評判だったその姿を描くには白色がふさわしかったと思います。シリーズ3で川端康成がノーベル文学賞受賞の記念講演で白について「色のない白は最も清らかであるととともに、最も多くの色を持っています」とスピーチしたことを紹介しました。すべての色が含まれている至高の色が白であるという日本人の美意識が源氏物語絵巻にも反映しているのではないでしょうか。
現存する最古の源氏物語絵巻は更級日記作者の菅原孝標女の亡くなった後の成立です。更級日記を執筆時に、絵巻以外に出回っていた絵があったかどうかわかりませんが、特に女性は色に敏感ですから、菅原孝標女が標女物語に登場するあこがれの光源氏の姿を色でイメージしていたとしてもおかしくはありません。その一つの色に白があったのは間違いないでしょう。画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。