美しさらしな(15) 60年前なら世界遺産?

 

 美しさらしな(14)で紹介したシュウチャンさんのブログにある昭和40年代の棚田の写真(最上部に掲載)を見たとき、よく似た景色がフィリピンにあったのを思い出した。首都マニラから車で約10時間、ルソン島北部の山岳地帯イフガオ州のバナウェという村。険しい斜面に切り開かれ「天国への階段」とも言われる棚田は世界遺産。村を回る中で撮った1枚(組み写真の左上)をここにアップした。あぜの草を刈っている人がいるので、隣の田との高低差がよくわかる。10メートル以上はある。
 バナウェに行ったのは6年前の2011年だから、まだこの写真の光景は残っているだろう。あぜ幅は人が行き違うのが難しいほど狭く、体のバランスを強く意識する。でも狭い分、遠くから見ると姿はシャープ。棚田に生える草も木もすき込んで肥料にし、機械は使わずすべて人力。というかこのあぜ道では機械は入っていけない。完全無農薬栽培。
 シュウチャンさんの写真を見て思ったのは、姨捨の棚田が今のように圃場整備される前までは、このバナウェの棚田の姿と労働はほとんと同じだったのではということだ。姨捨の棚田を耕作し、今も存命の戦前、戦中、終戦直後生まれの人はうなづくのではないだろうか。
 姨捨の棚田がバナウェの棚田のようだったことを証明するのが、写真の最後のモノクロ写真だ。これは昭和30年代後半ごろのさらしなの里全体を映した航空写真で、日本が高度経済成長期に入り、豊かになりかけるころ。戦後の食糧難もあって棚田の耕作は懸命に行われただろうから、この写真に写る棚田が姨捨の棚田の最盛期の姿ではないだろうか。
 拡大すると、やはりあぜ道が細い。車が入っていけるような道は見つけるのが難しい。自宅からは背負子などを担いで歩いて行き来したはず。「今でこそ姨捨の棚田は観光地だが、おれの子どものころは…」という知り合いがいるが、そのころの労働の姿がバナウエを歩いていて想像できた。自分は昭和36年(1961)生まれなので、姨捨の棚田の労働の大変さは知らない。
 ご多分にもれず、バナウェの棚田の耕作維持も後継者不足で難しくなっている。なのでバナウェは世界遺産であると同時に、危機遺産リストにも登録され、フィリピン政府が労働者を雇って耕作を続ける。田植えも体験してみた。足を入れると、ズブズブズブ…。膝上まで漬かり、同時にあぶくがブクブク。空気がたっぷり含まれた柔らかい床だった。