壮挙と悲哀の「さらさら越え」

 インターネットで検索していると「さらさら越え」という言葉を見つけた。戦国時代、織田信長の家臣として越中(今の富山県)の支配を任された佐々成政(さっさなりまさ)にまつわるもの。本能寺の変で信長亡き後の自分の領地を守るため、徳川家康を味方につけようと冬の北アルプスを登り長野県大町に下り、家康のいる浜松(静岡県)に行ったことをいうのだという。それがなぜ「さらさら越え」と呼ばれるのか。小学館の「真説歴史の道シリーズ」に、このことを特集する冊子があったので取り寄せた。
 佐々成政が越えた北アルプスの峠の名前が「ザラ峠」と呼ばれたことが理由らしい。小石が堆積し、人が通るとザラザラという音をたてながら崩れ落ちることから峠の名前という。現在の黒部ダムの近くにあり、標高は約2500m。雪が覆う冬にここを越えようとしたのは、敵の勢力に気づかれないためだった。今ではとても信じられないことだが、それは当時でも同じだったらしく、それゆえに「さらさら越え」という言葉で語り継がれるようになった。
 でも峠の名前は「ザラ」なのになぜ「さらさら越え」なのか。ここからは推測。一つは佐々成政の名前にS音が多いことが影響していると思う。SASA-NARIMASA。もう一つは一国の長として家臣とともに厳冬の北アルプスを踏破するという行為の崇高さだと思う。それはザラではなく、神聖な響きをかもすS音で呼びたくなる気持ちにつながるのでは。山肌、峠を埋めた雪の白さ、不可能を成し遂げてしまった爽快感も込められているかもしれない。佐々成政は家康に面会できたものの味方につけることはできず、結局は越中の領地を奪われ、最後は切腹を余儀なくされた。佐々成政の壮挙と悲哀が、後に続く人たちに深い味わいの物語として語りつがれた気がする。歌舞伎でも上演されるようになったそうだ。