更旅253 「慰めかねつ」作者は女性?-万葉集にも「わが心」歌

 更旅251号で、さらしなの里を全国に知らしめた古今和歌集の「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月をみて」は、都の旅人が作ったと書きました。その都人は男性女性どちらでしょうか。わたしは当時、遠隔地に行けたのは男だから男性だと深く考えることなく思ってきましたが、青山学院大学教授で万葉集研究者小川靖彦さんの「万葉集 隠された歴史のメッセージ」(角川選書)を読み、作者は女性であったかもしれないと思うようになりました。小川さんによると、古今和歌集に先立つ万葉集では、「わが心」を詠み込んだ歌は女性の歌が目立つようなのです。

 相反する力が働くジュンサイの歌

 小川さんの著書は、万葉集の成り立ちを文学に加えて歴史学的な観点を加えて読み解こうとするのが特徴で、その中で「心」という言葉を詠み込んだ歌に着目して論を展開している箇所があり、そこでまず紹介されているのが次の歌です。

 わが心ゆたにたゆたに浮き蓴(ぬなわ)辺にも沖にも寄りかつましじ (歌番号1352)

 蓴(ぬなわ)は沼などに浮いているスイレン科のジュンサイのこと。若芽はぬるぬるして食用にもなるあれです。「男性の誘いを受け入れられず、そうかといってその男性を拒否することもできない自分の心を蓴にたとえた女性の歌」だそうです。ジュンサイはまとまってたくさん水面に浮かび、普段は動かず静かにしていますが、いちど風がたつと一斉に動きだします。この歌は、男性の求愛を受け、心がそわそわして落ち着かないことを蓴(ジュンサイ)にたとえることで、読者にその様子を豊かにイメージさせます。

 小川さんはさらに、「ゆたにたゆたに」と「辺にも沖にも」という対照的な音や意味の言葉を重ねることで相反する力が働き、微妙で不可思議な恋の心のありようを鮮やかに描きだしていると分析します。この「対照的な言葉を重ねることで相反する力が働き」ということでは、更旅250号で書いた「慰めかねつ」和歌の「さらしなと姨捨山」の関係とよく似ています。

 意思を超える心の発見

 もう一つ小川さんが紹介する万葉集の「わが心」歌です。

 わが心焼くもわれなりはしきやし君に恋ふるもわが心から (歌番号3271)

 小川さんによると、この歌は、別の女性のもとに居る恋人に激しい罵りのことばを浴びせかける女性の歌。私の心を焼き焦がすのも私自身だが、いとしいあなたに恋い焦がれるのも私の心のせいだという意味だそうです。その心は「自分の意志の力を超える力」で、「慰めかねつ」和歌の慰めようながい心のイメージと似ています。小川さんはそうした、人の人格から離れてそれ自体で意志を持ち実体のあるような心は、万葉時代の恋歌のやりとりの中で「男性の歌を切り返す女性の歌の発想の一つとして発見された」と指摘します。

 だからといって古今和歌集の「慰めかねつ」和歌の作者を女性だと言い切る証拠にはなりませんが、平安時代には都から地方へ、国司などその地方を治める役人として赴任する男性が増え、男性には妻も同伴することがあったので、歌の教養がある妻が詠んだとしても不思議ではないでしょう(新元号「令和」の出典元となった大伴旅人は九州大宰府に赴任したとき妻を伴っています、「万葉集にある白の美意識」)。作者が男性であったとして、女性的な感性というか女性の心持ちが分かる男性だったかもしれません。

 今号で紹介した万葉集の二つの「わが心」歌も、古今和歌集の「慰めかねつ」歌も、いずれも作者の名前は分かりませんが、逆にそのことが読む人にぞれぞれの想像を許し、多くの人の愛唱歌になったといえると思います。

 小川さんの「万葉集 隠された歴史のメッセージ」については更旅233号でも書いていますのでご覧ください。