更級郡の短歌

 さらしなが古代から日本人のあこがれになった理由を解明する一番の資料が、和歌の数々だった。読み解くうちに自分でも短歌を作るようになった。新聞の短歌欄や歌集、歌誌にも目を通すようになった。短歌はカラオケと同じように歌うことだから、他人の優れた短歌を読んだとき、投稿に値すると思えるような短歌ができたとき、そのすがすがしさは格別。
 市町村合併が進み信濃国の更級郡が消滅したこと、行政区画の郡が減っていくことが残念で次の5首を作ったことがある。

 特選を逃しし人は住みており飛鳥の時代にできし郡(こおり)に

 町村があまたあるとき自己紹介 郡(ぐん)の生まれと老いは言ひ

 新聞は元号載せて郡削る 無くてもいいものにしてしまひ

 最後なる大岡村は二〇〇五年長野市となり更級郡消ゆ

 郡なのに都市在住と記されて平成合併かだん大味

 月刊歌誌に読者が5首をまとめて投稿し、評価してもらうコーナーがある。そこに投稿した。第1首はこの月刊歌誌が入選者の住所について町村の場合は「郡」を表記しており、そのことに感銘を受け作った。第2首は平成の市町村合併で更級郡の最後の自治体「大岡村」が隣接の長野市になるときの閉村式で、この村が選挙地盤だった参議院議員のあいさつが印象的だったことを思い出したもの。3首目は、新聞記事に登場させる人の住所について「郡は省略」と指導されることを歌った。最後の5首目は、新聞歌壇の入選者の住まいが山の中なのに「市」あるいは「県」と紹介されるようになって歌の味わいを深めにくくなったことを詠んだ。
  第4首「最後なる大岡村は二〇〇五年長野市となり更級郡消ゆ」が佳作で選ばれたのはうれしかった(選者は高野公彦さん)。

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