61号・更級人「風月の会」が発足

  さらしなの里に新たな文化団体「更級人『風月の会』」が発足しました。太陽のように華やかでなくとも月のように実力のある人を招き、さらしなの里にもかつてあった観月の文化をもう一度復興させたいというのが趣旨です(更級人は「さらんど」と読みます)。
 石原兄弟の登場
 今、各地で観月の文化を暮らしに取り入れようとする動きが生まれていますが、この動きは歴史的な必然ではないかと思います。日本の歴史は、「太陽の文化」と「月の文化」が交互に双方を補いながら経緯し、現代は「月の文化」の位相にあると思います。
 古くから説き起こすと身近に感じられないと思うので、一番近いところからです。まず、先の大戦後に出版され、芥川賞を受賞した石原慎太郎さんの「太陽の季節」です。
 芥川賞は小説の書き手として新しい才能、もっと言うと、社会精神の一つの指標となるような作品に送られることもよくあります。「太陽の季節」もその一つでした。タイトル通り、この小説をきっかけに太陽の文化が席巻します。
 発表された1956年は高度経済成長が軌道に乗り始めたころで、いわゆる「右肩上がり」の時代です。戦前的な価値観一つの柱だった「老い」が嫌われ、「若さ」がもてやはされるようになるその象徴が「太陽の季節」だったのです。
 このタイトルは明らかに戦前までを「月の文化」と位置づけ、それへのアンチテーゼです。ボクシングを素材に、若者の破天荒な暴力、性の描写が話題になりました。文章の中には「太陽の季節」という言葉は出てきません。タイトルには「新時代なのだ」というメッセージが込められています。南田洋子と長門裕之のコンビで映画化され、たくさんの観客を動員したことが、太陽の季節であることを証明しました。
 1970年代初頭、人気を博した青春テレビドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌は、「太陽がくれた季節」でした。「君は何を今 見つめているの…」で始まるあの歌です。青春ドラマはほかにもいくつも作られましたが、昇る朝日に向かって駆ける姿が青春時代の行動イメージとなりました。
 刑事ドラマ「太陽にほえろ!」もほぼ同時期に放送が始まりました。石原慎太郎さんの実弟の裕次郎がボス役であったことも時代の太い流れを象徴しています。
 月光仮面も対抗
 一方、その太陽が否定した戦前までの「月の文化」も根強く残っており、その象徴が深沢七郎さんが発表した「楢山節考」です。この小説も「太陽の季節」と同年の出版です。「太陽の季節」が芥川賞だったのに対し、「楢山節考」は、三島由紀夫ら当時の有力作家三人の選考によって第一回中央公論新人賞を受賞しました。
 「楢山節考」は信州の姨捨伝説が題材です。老いをモチーフにし、棄老という残酷な風習がある村の中で貧困の不条理に打ち勝とうとする人間の姿を描いています。伝統的な村の人間たちの精神風土を描いているという意味で「月の文化」の小説と言っていいと思います。
 映画「太陽の季節」が公開されてから2年後の1958年には、木下恵介監督が「楢山節考」を映画化します。「若さ」と「老い」の価値観のせめぎあいがあったたわけです。映画「楢山節考」は戦後の価値観に異議を申し立てる作品だったのですが、太陽の文化に駆逐されていったのでした。いえ、ほかにもテレビの人気番組「月光仮面」など、月をモチーフにしたテレビドラマが太陽に対抗し続けてきたことも忘れてはいけません。
 太陽は月に
 さて、もう一度現代です。
 戦後の高度経済成長は、トイレットペーパー騒動が起きた一九七三年の石油危機(オイルショック)で終わりました。80年代末から90年代前半にかけ再び、大いに景気が良かったのですが、バブル(あぶく)経済として日本人の精神風土を大きく損ないました。戦後から続いた若さの価値観、つまり「太陽の文化」だけでは、もう、この国は立ち行かなくなっていることに異議を唱える人は少ないでしょう。つまり、もう「太陽の季節」ではないのです。
 2007年11月11日と18日付の朝日新聞に、「飛び出せ!青春」のテーマ曲「太陽がくれた季節」をつくったグループ「青い三角定規」のメンバー岩久茂さん(57)の、その後の人生が紹介されていました。
 岩久さんは、この曲に続くヒット作が出ず、グループは解散。女優の秋吉久美子さんと結婚し、話題となりましたが、離婚。音楽の仕事がうまくいかず、父子家庭で厳しい暮らしを送りました。
 しかし、高齢者の仲間入りを前に。再びかつてのメンバーとコンサートを行い、息子は父親が歌った「太陽がくれた季節」が教科書に載る中学生になりました。「人生の苦難を経ることでしか体験できない幸せの中にいる」というトーンの特集記事でした。岩久さんの今は、太陽ではなく月の灯りに彩られているような感じがしました。
 一方、石原慎太郎さんも70歳を越え、近著「老いてこそ人生」(幻冬社)の中で、「「太陽のたどる軌道からいえば斜陽の季節」と書いています。石原さんは「斜陽の季節」であっても、岩久さんの現在は、「月の季節」と言える気がします。
 「更級人『風月の会』」はまさしく時宜を得た集まりです。さらしなという場の意志を感じます。今後、さらしなの里展望館(千曲市羽尾)と明徳寺(同)を舞台に音楽の演奏会や講演、勉強会を行っていく予定です。
 第1回は2007年10月、中秋よりも空気が澄んで美しいとも言われる「後の月」に合わせ、お月見会として開きました。「さらしなの里ここにあり」という詞(下に掲載)を作ったところ、羽尾の森政教さんが曲を付けてくださり、さらしなの里のフォークソング好きのグループのみなさんが演奏してくださいました。一度歌っただけですが、メロディーも覚えてしまいました。

         さらしなの里ここにあり

                (作詞・大谷善邦  作曲・森 政教)

一、はるか古 縄文人の 感動知るや円光房

  そなたの魂いまもなお   さらしなの里ここにあり

二、永きを生きた老人は 手がかりなれる人類の

  そなたの知恵は受け継がれ   さらしなの里ここにあり

三、女子乙女も女衆 朝昼働き月見て涙

  そなたの心はやさしくて   さらしなの里ここにあり

四、この地で育った若人は いつ帰りなん待ちをるぞ

  そなたの気持ちは揺らげども   さらしなの里ここにあり

五、未来を語る里人は  郷嶺山に集い合う

  みなの思いはただひとつ   さらしなの里ここにあり

 画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。