64号・「村人意識」育む縄文まつり

  さらしなの里のボランティア集団「さらしなの里友の会」が中心になって毎年秋に行う縄文まつり。このまつりに更級小学校が全校参加するようになって、ことしで3年目に入ります。昨年のまつり第15回を記念した本「里と人にいやされるさらしな・縄文からのメッセージ」(写真右)の出版も更級小の全校参加がきっかけです。運動会と並ぶ全校行事化は、友の会にも大きな刺激となりました。
 見て見られる関係
 映画を中心とした分かりやすい批評で知られる佐藤忠男さんの著作「見ることと見られること」(岩波現代文庫)を読んでいて、更級小児童が全員参加する縄文まつりの現代的な意味が分かりました。タイトルにあるように「見ること」と「見られること」の重要さです。
 佐藤さんの考えでは、かつて地域が「村」と呼ばれる単位で農業を中心に共同生活をしていたころ、地域の人たちはいつもお互いに見て、見られる関係にありました。それは相互監視にもつながり、人々の行動を制約する面もあったのですが、それによって世間をひとりでに意識し、自分と他人、そして地域との関係を考え、大事にもしながら一人前の人間になっていく仕掛けにもなっていました。
 人の目を最も意識するのが、冠婚葬祭でした。晴れがましさの体験です。そのときに浴びる視線はじろじろではなく、まなざしです。縄文まつりが今、「あの家のあの子は今…」「あの子の家の父ちゃん(母ちゃん、じいいゃん、ばあちゃん)は今…」などと、まなざしを交換する場になっていないでしょうか。
 お客ではなく
 縄文まつりは、さらしなの里古代体験パーク(千曲市羽尾、写真左)を舞台に、来場者に縄文人の気分になって食べ物や労働体験を味わってもらうことと、その年の野山や川からの収穫物を参加者全員で感謝する豊穣儀礼を行ってきました。石井智更級小校長は「里と人にいやされるさらしな」の中で、このまつりに全校参加を決めた理由について、学校が地域に開かれ、特色ある教育を求められている中、校風をつくり出してきた地域を基盤とする教育こそが「特色ある教育」と考えたと記しています。
 自ら生きる力の育成を目的に文部科学省が設けた「総合学習」の内容として、縄文まつりを継続してきた故郷さらしなを在校中の6年間学び続けることがふさわしいと考えたのだそうです。それまでは限られた学年が豊穣儀礼などに招かれるという立場でしたが、「お客」ではなく全校児童が故郷の歴史、文化、伝統、人と人とのつながりを主体的に学ぶ良いチャンスだと考えたそうです。
 確かに神社や寺のまつりは、大人のやることを脇で眺めるのが大半です。地域の伝統や風習を受け継ぐ場ではありましたが、神事仏事の簡略化などとともに、まるごと継承する力は弱体化しました。
 ただ、「全校参加」と一口に言うのは簡単ですが、先生方も含めると300人近くに上ります。子どもの発達段階も異なります。1年生が終日参加するのは難しいので、どの時間帯まで参加させ、いつ下校させるか。児童の安全確保をどうするか。昼食はどうするのか…。縄文まつりが近づくと新たな課題が出てくることも多かったのですが、その都度、学年会などで検討をし、縄文まつり実行委員会と連絡・調整をしながら準備を行ったそうです。
 昨年の2回目は、低学年は自分たちで育てたエゴマを豊穣儀礼で奉納したり、堂の山で集めた松ぼっくりやドングリを使ったゲームコーナーを企画したりしました。縄文まつりが提供する体験には、食べ物では猪系生肉の串刺しを縄文住居の炉で焼いて食べてもらうほか、岩魚の手づかみ串刺し焼き、肉団子など、労働では縄文編み物、立ち木倒しなど約30種ありますが、高学年はそれらの多くにスタッフとしてかかわりました。4年生は縄文人の学芸会「仮装大会」に参加。5年生は豊穣儀礼の中心的役割をつとめ、舞錐を使った聖火着火式も勤めました。6年生はオープニングの鼓笛隊行進を勤め、豊穣儀礼を支えて更級小の顔として活躍しました。一学年上の役割を担うのを楽しみにしている子もいるそうです。
 6年間のまなざし
 さらしなの里友の会初代会長の大谷秀志さん(故人)は、友の会発足当初から縄文まつりは「子どもの健全育成が目的」と強調していました。当時はその意味がよく分からなかったのですが、現代にふさわしいまつりだったわけです。現代社会は佐藤忠男さんが言う「見ること」と「見られること」の相互作用がとても弱いからです。
 今は家の外に出ても地域のだれとも会わずに済む暮らしです。いなかほどです。外出時の車にはスモークガラスが標準装備され、目を凝らしてもだれが乗っているか分からないほどです。目を凝らすと、中の乗車人からは逆にいやな目を向けられかねません。まなざしではなくじろじろ、疑いの目線です。隣人にすら姿を見られないまま生きているいける社会です。近所に商店街がなくなってしまったせいも大きいです。
 そうした地域が多くなる中、さらしなの里の利点はまだ、りんごや田んぼ、畑など共同作業が必要な農業が息づいていることです。縄文時代の暮らしの継承者たちもたくさんいます。1年に1度ですが、毎年計6年間、「あの子は今…」と地域の老若男女がその成長を見守り、子どもはその視線を浴び続ける場が生まれました。大人も子どもも、駐車場係りや昼食準備係りなど裏方さんも含め、里の中での自分の役割、ミッションを確認する場にもなりました。
 まつりの舞台の呼び名は「縄文村」。村は昨今の市町村合併で少なくなっています。しかし、「明治村」(愛知県犬山市)、「日光江戸村」(栃木県日光市)など全国には過去の時代をテーマに、「○○村」と呼び名をつけた観光スポットがいくつもあります。村に理想郷の響きを感じている現代人の心の現れです。自分の五感で浸れる、手の届きそうな世界がそこにあると思えるからではないでしょうか。そうした意味で、縄文村の縄文まつりは、現代の「村人意識醸成装置」でもあります。
 「里と人にいやされるさらしな」は、さらしなの里歴史資料館などで販売しています。1冊1000円です。

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