94号・芝原・寿弥会の迫真の寸劇

  さらしなの里(旧更級村)芝原地区の住民有志でつくる「芝原あにさんず&あねさんず」の寸劇「姨捨伝説・しおりの里」が面白いです。芝原公民館で四月にあった第26回同区学習実績発表会でも披露され、とても好評でした。約十分の長さに構成されたせりふをあらかじめ録音しておき、本番ではそのテープの声に合わせて役者が演技をする仕掛けです。
 微妙なズレ
 劇は他国から難題を突きつけられた更級の殿様が解ける者を領内で探し、老婆が解いて以後、老人が大事にされるようになったというお話です。当地ではおなじみの物語ですが、「芝原あにあね」チームの寸劇はなんとも面白いのです。老いた母親を背負った息子が会場の後方から現れたときは度肝を抜かれました。下の写真です。
 次に左の写真をご覧ください。右の奥に冠着山が描かれたボードが見えます。息子はここに向って進み、老婆は息子の帰りの道しるべにするため、道沿いの木の枝を折ります。右手前に写っているのが折れた折(しおり)です。写真は、「捨てろ」というお触れを守らず、老いた母親を匿っていたことを息子が殿様の前で詫びる場面です。
 見入って、聞き入ってしまいました。役者がせりふを語らず録音の声に合わせて動作をするので、じゃっかん動きが遅れ、そのズレが不思議な面白さを醸し出します。老婆が自分の知恵を、老人とは思えないバイタリティーで息子に教える場面は、特に笑いを誘いました。
 この学習実績発表会では芝原地区在住の77歳以上のお年寄りを招待し、地区のご婦人たちが作ったお手製の料理と一緒に楽しんでもらう場でもあります。お年寄りも身を乗り出して見ていました。
 こうした寸劇をどのように考え出したのか知りたくて、発案者だという中村ツル子さんに電話したところ、お仲間でつくる「寿弥会」のメンバー4人で考えたとのこと。中村さんのほか近藤文子さん、森政子さん、中村霞さんの4人に芝原公民館に集まっていだたきお話をうかがうことができました(中央の写真、左から森さん、中村ツル子さん、中村霞さん、近藤さん)。
 BGMも
 せりふを録音にしたのは、観客にちゃんと声を届けるためだそうです。実は、学習実績発表会の前の2008年10月、「さらしなの里縄文まつり」の芸能大会でも披露したのですが、この芸能大会はこれまで演者の声がちゃんと観客に届かないという問題が、まつり後の反省会でよく取り上げられていました。ならば、マイクを用意し、役者とは別に子どもたちにせりふをしゃべってもらおうかとも考えたのですが、それも大変だし…。せりふと演技の微妙なズレの面白さは、こうした苦肉の策から期せずして生まれたわけです。
 寸劇のシナリオとせりふは、さらしなの里歴史資料館で上映されている姨捨伝説の物語から借用しました。声を担当したのは、物語の筋を語るナレーションが前芝原区長の大谷憲夫さん、おばあさんの声は近藤輝一さん。息子は山越秀人さん、殿様は中村重隆さんが吹き込みました。
 せりふには背景音(BGM)も添え、その音楽には「明日の記憶」という映画の中で奏でられた曲を使いました。若年性アルツハイマー病に侵された男(渡辺謙)とともに喪失を乗り越えようとする妻(樋口可南子)の情愛を描く物語で、2005年に公開されたこの映画を見た森政子さんが姨捨伝説にはぴったりと思ったそうです。この選曲が寸劇物全体に迫真さを与えていると思います。
 役柄は老婆を中村広近さん、息子と殿様はそれぞれ、声も担当した山越秀人さんと中村重隆さんが演じました。さらに家来は大谷憲夫さんと大谷利久さん、農民は森政子さん、豊城信子さん、近藤輝一さん、中村ツル子さん、立ち木は池田美恵さん、近藤文子さん、中村霞さんが担当しました。
 世界に一つだけのほら貝?
 寿弥会は小道具、特に難問を解いた結果に出来上がる三つの物の制作にこだわりました。まず紐が中を通ったほら貝。中村ツル子さんは、足に糸を巻きつけたアリが出口の穴に塗った蜂蜜に誘われて糸を通したという筋書きに従って、まずお孫さんにアリを何匹か捕まえてきてもらいました。胴体の部分を押さえ、糸を巻きつけようと畳の上に腹ばいになり、あらかじめ輪の形にした糸を、アリに顔をくっ付けんばかりにして数十分、格闘しました。しかし、胴体に巻きつけたと思ったら、動かなくなってしまいました。別のアリには胴と両足を一緒にゆわえてしまったので、ほら貝の入口部分に置いても進みません。
 お手上げの状態でした。笑って見ていたご主人の保男さんに、後を任せて外出し帰ってきたら、なんと通してくれていました。ビニールの紐テープを入口に置き、電気掃除機で出口側から吸引したそうです。ぐるぐる回るほら貝の中を通したのが、現代文明の利器であるとはいえ、それを使えばほら貝に糸が通ることを実証してみせたこの知恵はすぐれものです。紐が通ったほら貝は世界に一つかもしれません。
 このほら貝はツル子さんのお父さん、恒治郎さんが先の大戦で中国に出征した際、起床ラッパに使っていたものだそうです。大事にしまっていたものが再び活躍の舞台を得ました。
 灰の縄も苦心の作です。薪で沸かす風呂が今もお宅にある近藤文子さんが、金属網の上に塩漬けにした縄を置いて、熾き火状態になったころを見計らって焚口に入れるのを、何度か繰り返して出来あがりました。
 もう一つ、幹の上の方が太い切り株は、近くのべんとり山(紅取山)に実物を探しに行きましたが見つからず、段ボール箱を加工して作りました。近くで見ると、年輪も描かれ、日当たりのいい方がちゃんと間隔が広くなっています。以上の三品は中央の写真の四人の前に並んでいます。
 しおり(枝折り)りの枝は青々していて簡単に折りやすいという条件を満たすものをと考えいろいろな木を探しました。結果的に春先は、生垣によく植えられているレッドロビン(カナメモチ)が適任ということで使いました。舞台上では観客にはっきりとは見えませんが、世界に知られる日本映画の巨匠、黒澤明監督並み(?)に細部にこだわっています。
 寿弥会はもともと日本舞踊を学ぶ趣味の会として30年ほど前に発足しました。多いときは50人ほどいたのですが、高齢化で人数が少なくなりました(発足当初の会の名前は「芝原舞踊会」)。5年ほど前から縄文まつりの芸能大会に参加し、寸劇にまで芸の幅を広げました。「寿弥」という会名は、日本舞踊を教えてくださっているお師匠さんのお名前だそうです。
 「姨捨伝説・しおりの里」の役者の衣装はすべて寿弥会の4人で作り、それぞれ袋に入れて保管し「体だけ持ってくればだれでもできる」態勢にしてあるそうです。お呼びがかかればデイサービスのような福祉の場でも披露したいとおっしゃっています。
 なお芝原地区の学習実績発表会は、コーラスやカラオケ、舞踊など趣味のグループが登場するほか、更級小学校に新入学した同地区の1年生を1人ずつ紹介し、校歌を参加者全員で合唱するのが伝統になっています。(2009年5月17日) 画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。