更旅36号 今も綴られる「更級日記」

  更級小学校のPTAが30年以上にわたって毎年、発行してきた文集があります。その名は「さらしな」。一つの学校単位でこうした文集を毎年、出し続けているところはあまり例がないということです。現校長の石井智さんに全号を見せていただきました。
 3千編超える
 創刊は1970年。2006年3月に第37号を発行しました。毎号サイズはA5版、百数十㌻に上ります。これまでの投稿総数は三千編を超えます。
 内容は多種多彩です。わが子のことから自分の父母のこと、子育てをめぐる社会環境の問題、さらに趣味、地域の歴史、旅行記、木造校舎時代の思い出……などなど本当に多様です。特に印象深かったのは―
 更級地区(旧更級村)に嫁いできたお母さんたちが冠着山に寄せていた思いを記した文章。毎日の生活が忙しく見上げるだけだった冠着山に、ようやく子どもと一緒に登ることができたときの感激、感慨が綴られています。
 創刊からしばらくは農業を営むことの大変さを綴った文章が目立ちます。高度経済成長を経て産業構造が大きく変わる中、それでも農業の大切さを肌で感じていた親たちの心のうちを記録した貴重なものです。
 おじいさんの投稿もありました。1993年発行の第24号には、「大正1年生まれ」の羽尾の小山嘉一さんが、ランプから電気の生活に変わったこと、女子の友達は卒業すると製糸工場に働きに行ったことなど自分の小学生時代を綴っています。私の担任だった先生のエッセーを読み、「あの当時先生はこんなこと考えていたのか」と当時の学校生活が蘇ってきました。
 母親文庫部の発案
 文集創刊の狙いは、読書の習慣を広めるのが主眼だったようです。いきさつについて羽尾地区(旧更級村)にお住まいの郷土史家、塚田哲男さんが第20号(1989年発行)でお書きになっています。塚田さんは第一号発行時の教養部長で、創刊に携わりました。
 文集発行の発案は、当時の「母親文庫」の役員さんからだったそうです。母親文庫は「親が本を読む姿を子どもに見せるのも教育である」という考えから設けられたPTAの専門部の一つ。屋代(旧更埴市、現千曲市)に時々、行って書籍を借りてきて会員に回して好きな本を読んでいたのですが、その感想でも書いてみたらという提案でした。創刊号は読書感想文的な編集になっています。
 ただ、予算がなかったので旧戸倉町(現千曲市)の公民館から用紙をたくさんもらい、手書きによるガリ版刷りを学校でしました。全くの手作りでした。後年、活版印刷で作り直したそうです。写真の中央手前にあるのがそれです。「文集発刊によせて」と題した当時の矢島文雄PTA会長の文章だけはガリ版刷りの姿で残っています。
 今のように自由題で綴るスタイルになるのは早くも第2号、1971年発行のものからです。当時の教養部長でいらした西沢嘉藤さんの前文に、その編集方針が示されています。
 「この文集に誰でもが気軽に投稿ができて、より身近にみんなから親しまれることによって、更級母親文庫のよい機関誌としてお互いの意見交換や個人の見聞を広めるために役立つとともに、何かと忙しい日常生活の心の糧として今後ますます充実していくことを願っているものです」
 当時は、子育ては母親が第一義的に担った時代ですから、母親に文集づくりの中心的な役割が期待されました。実際は父親も書いてはいますが、そういう時代でした。創刊の時期はちょうど明治時代に建てられた木造校舎がコンクリートに建て替えられた直後で、まもなく創立100周年を迎える時期ですから、新たな学校、地域づくりへのPTAの熱意が文集発行にもつながったのではないでしょうか。
 お母さんの宿題
 ただ、書く苦労は毎年、つきまとっていたようです。その辺をよくうかがえるのが、第9号(1978年発行)にある石田澄子先生の文章です。
 運動会が終わると、例によって文集の原稿用紙を子どもたちに渡す時期。子どもたちも3年生になると、「先生、これお母さんの宿題ね」と言って持ち帰ります。しかし、原稿がなかなか集まらないので、子どもに打診すると、「お母さん忙しくて書けないって」「字を書くと頭が痛くなるんで書けないって」などと母親の代弁をします。
 そこで石田先生は「悪知恵」を出します。「いつもお母さんに宿題しなさいって言われてるのに、宿題をしてないお母さんをかばっているのはどうかと思うな」。子どもたちのつらさも分かって後味は悪かったそうですが、その後、ぽつぽつと集まり始めました。
 石田さんはこうしたエピソードを紹介した上で「ささやかな冊子であっても時を同じくして更級小学校に籍を置く者同士が、子どもに託する願いや自分の生き方、考え方を述べあい、生活を語り合うことに意義があると思うのだが…」と締めくくっています。
 親と子の成長記録
 子どもがたくさんいると書くチャンスがたくさんあることになりますので、それも大変だったようです。また、創刊から37年がたちますから、当時、お母さんに催促し今は自分が母親になって同じことを子どもからされている人もいるのではないでしょうか。
 ただ、長年続けるには、問題も出てきます。第34号(2003年発行)では、今後の文集の在り方についてのアンケートを行っています。
 自由回答なのに「続けてほしい」「お父さんたちにもっと書いてもらいたい」など、たくさんの意見が寄せられています。調査実施理由について海野政也PTA会長が記した文章の中に「本棚に並ぶ『さらしな』の背表紙が子供達と私達の成長の記録です」という言葉があり、感銘を受けました。
 石田先生の文章をはじめ全号に一通り目を通し、この文集が保護者、先生、そして子どもたちみんなで作ってきたものであることがよく分かりました。さまざまな思いが寄り集まった文化財です。1000年前に書かれた「更級日記」に続く、現代の「更級日記」です。

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