さらしなの「後の月」報告記事と写真です

 

 展望館から15夜・2samuneiruさらしなの里の郷嶺山(ごうれいやま、千曲市羽尾5区)。山頂からは里の姿をはじめ千曲川の流れ、さらしな・姨捨の名月の舞台、鏡台山が見渡せます。10月19日(2013年)、この山で月を写真に収めようと思いました。この日も十五夜で満月。ひと月前の中秋とはまたひと味違い、秋の気配が深まり一段と美しい「後(のち)の月」と呼ばれる夜です。
 撮影場所は、そばも食べられる「さらしなの里展望館」2階のベランダ。国立天文台によると、鏡台山付近からの月の出は午後5時45分ごろ。この日は明け方に降った雨雲が空に居座りましたが、夕刻には上空展望館から鏡台山samunieruの雲のすき間にわずかに空が見えるようになりました(写真中央)。月の出は断念し、雲間の月を狙うことしたものの、なかなか現れません。辺りは真っ暗闇。しかし、あきらめられませんでした。更級村初代村長の塚田小右衛門さんが122年前の明治24(1891)、この場で挙行した一大観月会のことが頭にあったからです。
 塚田小右衛門さんは「汽笛一声新橋を…」で知られる鉄道唱歌の作詞者、大和田建樹さんを東京から当地に招き、郷嶺山での観月のすばらしさを世の中に広めようとしました。大和田さんは「今よりは人にほこらんいにしへの月の都の月をみつれば」という和歌を詠みました。さらしなの里を「月の都」と呼び、そこの月を味わえたことが大変な自慢になると言っているのです。大和田さんの感激を味わいたいと思いました。
 ハンドチャイムsamuneiru寒さに震えているうちに雲間から月の光が漏れ始め、午後6時10分すぎ、お月さんが姿を見せました(一番上の写真)。月光を浴びた周囲の雲の表情も味わい深く、すごみを感じます。

 展望館2階ではこの夜、文化グループ、更級人「風月の会」のお月見会も開催。月が現れたのは、「ベル・チャイム今井」のみなさんの演奏が終わった直後でした。美しい音色に浸ったあとの満月。参加者からは「一枚を母にはおらせ後の月」(千曲市屋代在住の青木久美子さん作)という「後の月」をテーマにした句も披露されました。さらしなの「後の月」を堪能しました。

 (以上は、さらしなの里友の会だより29号から転載)