あちらには極楽浄土が

 文・2007年に亡くなった千曲市羽尾4区の郷土史家、塚田哲男さん、さらしなの里友の会だより6号=2002年春=から、写真は千曲市御麓区の弥勒観音菩薩

 ミロク仏samuneiru山すそ近く住む人は、山に対して著しい畏敬の思いを抱いていた。縄文時代の人々は、山こそ恵みを与えてくれるまたとないありがたいものとみて、さらしなの里では冠着山をうやまい、山そのものを神様とみていた。
 冠着山はその美しい姿とともに、食料となる獣や栗などの果実、また、きれいなたっぷりとした水を恵んでくれる母なる山だったのだ。幅田遺跡でみられた列石の遺構は、人々が寄り集まって冠着山の方向に石を並べてお祈りをしたあとを示している。
 こんな思いは、この山里に住みついた人々の心の底にしみついていて、冠着神社というお宮も造られる。このお社のご本尊は、「月読命」だというが、実は冠着山そのものがご神体なのである。
 時代が移って仏教が伝えられての後、山はまた新たな信仰の対象となる。山すそに住む人々は、この山の向こうには存外な世界を想像した。あちら(西方)には、美しい世界が広がっており、仏様がおられて極楽浄土をつくっておられるのだ。
 今に私の末期が来た時には、その世界から阿弥陀如来(他の仏様でもよい)が現れて、私を浄土に導いてくれるのだろうという思いである。山越し如来の信仰というのだが、自分の力では抜け出せない境遇にあって救いを自ら求めた信仰である。
 御麓にある弥勒観音菩薩はその思いの一端ではなかろうか。