初代更級村村長が残した冠着の宝物

 長野県千曲市羽尾地区の宝物(ほうもつ)が五月七日、一般公開されました。明徳寺に保管されているもので、旧更級村村長の塚田雅丈(まさたけ、襲名・小右衛門=こえもん)さんが寄贈したものが中心です。当地の冠着山が古来、都の人などによって歌に詠まれてきた「姨捨山」であり、さらしなの里のシンボルであることを世間に知らせた執念の品々といっていいものです。

 塚田雅丈samuneiru雅丈さん(写真)は江戸時代の嘉永元年(一八四八)、羽尾村に生まれました。明治の町村合併の際、お隣の若宮、須坂両村と一つになるにあたって新しい村の名を「更級」にするべくリーダーシップをとった初代更級村村長です。
 宝物のいくつかを紹介します。まず、九谷焼大皿です(写真上)。真ん中に冠着山と更級村一帯が描かれています。二枚つくり、一枚は明治三十四年(一九〇一)、国政に携わっていた当時の有力政治家の近衛篤磨が雅丈さんの家を訪ねた際に、プレゼントしたそうです。
 裏には佐久間象山の和歌〈わがくにの冠着山に見る月はカルホルニアのあけぼのの空〉も書かれています。象山は江戸幕末、松代に生まれ、欧米諸国の地理や産業技術にも通じていた人です。冠着山に月がかかったときは、アメリカのカルホルニアは朝を迎えているという意味でしょうか。月を眺めながら地球の反対側もイメージした視野の広い歌です。
 大和田健樹・書samuneiruもう一つは大和田建樹さんの書による和歌の掛け軸です(写真右)。〈かむりきのふもとの里に旅寝してまれなる秋の月を見しかな>。大和田は「汽笛一声新橋を…」の歌詞で始まる「鉄道唱歌」をつくった人で、歌人としても名を知られていました。この和歌は当地を明治29年に訪ね、詠んだものです。
 ほかにも冠着山の水彩画や詩歌の掛け軸など、当時の文人墨客たちの手によるものがたくさんあります。当地を訪ねた彼らが雅丈さんの家に泊まった際に描いたり、詠んだりしてもらったものだそうです。いわゆる一宿一飯の恩義でしょうか。雅丈さんが自分の屋敷で営んでいた「月の井酒造」のお酒をふるまうことができたのも関係しているのではと、郷土史家の塚田哲男さん(2007年死去)はおっしゃっていました。
 また、雅丈さんのお父さんが江戸幕末、松代藩の兵役につくためにつくった巨大な鉄砲もありました。ただ、これは開国を迫るアメリカのペリーの来航による日米和親条約の締結で結局、使われなかったとも塚田さんは解説してくださいました。時代を感じさせるエピソードです。
 羽尾の区長さんをはじめ役員、議員さんたちが作った宝物一覧の資料集がとても参考になりました。これらの宝物を「羽尾お文庫」と呼んで大事にします。同地区では八年前から史跡めぐりを毎春、行っており、今回の宝物公開もその一環です。地域史に対する区民の関心のほどがうかがえます。
 ちょっと話がそれますが、さらしなにまつわる出来事の年号を語呂あわせで覚えるのもいいと思います。ひとつ覚えておくと、後は足し算や引き算をすればいいので便利です。
 まずは雅丈さんの生まれた年。
  はよや(1848)雅丈村おこし
 次に明治維新の年。
  やろうや(1868)国の建て直し
 もう一つは更級村誕生の年。
  いややここなる(1889)更級村
 更級村は昭和三十年、戸倉、五加との合併で戸倉町となりましたが、更級村時代を含む当地の歴史上のトピックが「戸倉町の歴史年表」に詳しく載っています。

 (文と写真・千曲市芝原区の大谷善邦。さらしなの里友の会だより15号=2006年秋=から)