JR姨捨駅の灰縄展示リニューアルー姨捨は日本遺産「月の都」・若返りの里

長野県千曲市に伝わる「姨捨伝説」は、親思いの子と年老いた親の知恵で国が救われる物語です。その知恵のひとつが、灰でなった縄の作り方に関するものです。「灰縄を持ってこないと攻め滅ぼす」と脅された国の主が、老人の知恵で灰縄を作り国を守ることができたのです。
そのような物語をもとに約10年前に、実際に灰縄を作った元会社経営者と学校教諭がおり、JR姨捨駅に実物が展示されています。その展示コーナーが「月の都」として千曲市が日本遺産になったのを機に、リニューアルされ11月23日、記念イベントが行われました。展示コーナには、姨捨と月の都を紹介する文章を求められ、下記の文章を作り、一角に置いてもらいました。姨捨駅など高所からのさらしなの月の展望こそが、千曲市を「月の都」と名乗るのにふさわしい場にした可能性があります。
記念イベントでは「姨捨伝説」の琵琶演奏と語りがありました。次のサイトでお聞きになれます。http://sarashina-r.com/rekishi/biwakatari/

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 姨捨は日本遺産「月の都」、若返りの里

長い年月を生きてきた老人の知恵によって国が救われた―このような姨捨伝説が受け継がれているのが、信州さらしなの里姨捨。この地があることによって長野県千曲市は2020年、「月の都」として日本遺産に認定されました。
年老いた人「姨」を「捨」てるとも読める、この残酷な名の地に、西行、世阿弥、松尾芭蕉といった歴史に名を残す人をはじめ、古来たくさんの人たちが憧れたり訪れたりして、いくつもの和歌や俳句を詠んできました。それは、さらしなの里姨捨が、特別に美しい月が現れるところだったからです。
月の光はやわらかです。夜、月明かりのもとを歩いていると、自分の身を包み込むように、月光がまとわりついている感じがすることがあります。太陽の強い光は、はっきりした影をつくりますが、月の光はあいまいで、おぼろげな自分の姿を地上に映します。日本語の「影」という言葉に、「光」の意味があるのは、月を詩歌に好んで詠んできた日本人ゆえに、光と影を明確には分けることができない、つながりのある現象ととらえてきたからではないかとも感じます。
古来、日本人が詠んできた月の和歌や俳句を知ると、月の光によって日本人は自分の苦しみや悲しみを癒してきたことがわかります。その代表的な和歌が、千年以上前に詠まれた古今和歌集に載る「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月をみて」です。どのようにしても癒すことができない人間の苦しみや悲しみの老いや死を、美しい調べで歌い上げたことによって、「姨捨」がある信州さらしなの里は全国に知られることになりました。
この和歌の作者はだれか分からないので、どのような経緯で詠んだのかは想像するしかありません。ただ、この和歌を作者に詠ませた大きな理由は、古来、奈良や京の都とつながる古代の国道、東山道(とうさんどう)の支道が、姨捨山の異名を持つ冠着山(かむりきやま)の西の尾根筋にある古峠(ことうげ)を通っていたことがあると考えられます。
高い所にある峠からは、地域全体を眺めることができます。さらしなの里姨捨と、そこに現れる月を、まるごと鑑賞できる場所が現在の長野県千曲市にはあったのです。このことによって、さらしなの里姨捨や古峠がある千曲市は、「月の名所」にとどまらない「月の都」の称号にふさわしい地となりました。
千年前の人が眺めた千曲市の景色は、スイッチバックが今も現役である高所のこの姨捨駅からの眺めと似ています。日本遺産「月の都千曲」の主要構成文化財である鏡台山、姨捨の棚田などを望むことができるのが姨捨駅です。
姨捨駅のホームからの景色を楽しんだとき、心の中の動きを観察してみてください。眼下の景色に感動して、心はすがすがしく躍動していると思います。そうです。姨捨は、訪ねると、心がすがすがしくなって躍動する場です。
和歌や俳句を詠んだことのある人はおわかりかと思います。一首一句をものにしたときの、すがすがしさと躍動感。すがすがしくなって躍動するということは、血の巡りがよくなって、からだだけでなく、心も健康になって若返るということです。姨捨の地は「若返りの里」だったからこそ、古来多くの日本人を引き付けたのでした。
日本遺産は、海外の人をはじめ、たくさんの観光客を地域に呼び寄せるために文化庁が始めた政策です。外国人にも誇るべき日本の歴史文化の遺産として、いろいろな工夫をしながら「姨捨」を伝えていきたいと思います。