さらしなの里友の会だより52号をアップ!

52号はトップページで、冠着山仙石登山口の「山の神」の御神木が新たなものになったことを紹介。前の御神木は推定樹齢300年のアカマツで、枯れてしまいました。御神木があるところは、薪取りなど山仕事を終えた人たちが「冠着大学」を開講した場でもあり、山の神にまつわる歴史は、18号23号で詳しく紹介しています。3ページには、今年の初め、雪の冠着山を修験登山した工藤修さん(仙石区出身、長野市篠ノ井在住)の報告記事。冠着山には坊城平をはじめ修験道にちなんだ地名や痕跡がたくさん残っています。児抱岩に打ち込まれたクライミング用金具を痛々しく思う工藤さんの気持ちに同感です。(画像をクリックすると、PDFが現れます)

冠着山仙石登山口に新たな御神木

 冠着山の仙石登山口に、古くから地域住民の信仰と集いの場所として親しまれている山の神広場があります。その一角に御神木とされる推定樹齢300年の赤松がその雄姿を誇っていました。それが十数年前から枝先から枯れがだんだん目立つようになり、その後、樹全体に広がり大枝が折れ落下する状態となりました。
 近くには電線が通り、車も行き来する道路もあり、これ以上放置すれば倒木により大きな事故につながる恐れが出てきました。そこで仙石区としては伐採することを決め、経費を含めその対応を検討しました。幸いに市役所からの大きな援助をいただくこととなり、令和5年7月5日、伐採作業が行われました。
 切り口の年輪を数え、樹齢を確認しようとしましたが、中心部も腐敗が進んでおり出来ませんでした。一方、隣りに二代目として成長していた赤松も枯れてしまい惜しまれつつ伐採となりました。後継樹は周囲森林環境を踏まえ、欅の木を植えることとしました。また神様を祭る石の祠もかなり劣化が進んでおり、亀裂、剥離が目立っていたので原形を保つべく修繕を施しました。
 令和5年11月5日、新しい御神木の植樹と祠の設置を行いました。昨今獣害が各地で見られるため、幼少期の御神木を保護するため、木を硬質網で囲い、その対策としました。区議員全員が神聖な気持ちでこれらの作業を行い、最後に御神木の順調な生育を祈り、祭事を執り行いました。今後、欅の木が大きく成長し、末永く地域住民を見守ってくれることを願っています。(仙石区・金井宗夫)

伝説の”さらどん”再び

 令和6年10月27日、気持ちのいい秋晴れの中、第30回さらしなの里縄文まつりが開催されました。会員のみなさまのお力と更級小学校のご協力で大勢に来場いただくことができました。
 コロナ禍の終息後、規模を縮小して開催した第29回の後の第30回をどのようにするかが実行委員会の命題でした。活発な意見が交わされ、豊穣儀礼を核に地域の人たちが今後も積極的に関わるまつりとすることを確認しました。準備を進める中で私は、資料館の荷解室で「さらどん」を発見しました。手作りと聞いていたあの「さらどん」でした。
 せっかくなので、登場しよう!と思っても身に着け方がわかりません。制作に関わった会員の手を借りて当日なんとか、さらしなの里歴史資料館のマスコット「さらどん」に変身することができました。いきなりの登場でしたが、ハイタッチをしてくれた小学生が多くいてうれしかったです。
 さつまいもが大きく実り、無事に当日を迎えられ、ケガ人も無く終了することができました。更級小児童は、芸能村出演だけでなくアナウンスも担当するなど運営の手伝いもしてくれました。児童の感想はまとめて資料館ロビーに置いてありますので、お読みください。
 一年間お世話になりました。温かく受け入れてくださり感謝申し上げます。(さらしなの里資料館前学芸係長・宮澤久美)

縄文村の姿を明らかにした人たち 大橋静雄さんが回想記

 さらしなの里友の会文化部長の大橋静雄さんが、戸倉史談会機関誌「とぐら」最新49号に、さらしなの里の縄文時代を明らかにした「幅田遺跡発掘回想記」(全10ページ)を寄稿しました。「幅田」はさらしなの里古代体験パークの南側に広がる地籍名で、この地の発掘調査が成果が、さらしなの里歴史資料館の建設にもつながりました。
 回想記によると、江戸から明治、昭和にかけて幅田地籍の農地の開拓開墾に伴い、出てきたたくさんの土器片が「ガラクタ」として捨てられていました。危機を感じた大橋さんが高校生のとき(今から65年近く前)、研究者らに相談し、正式な発掘調査につながったそうです。友の会、縄文まつりの原点です。「とぐら」49号はさらしなの里歴史資料館と戸倉図書館で所蔵しています。
 上の写真は、1963年に行われた最初の発掘調査メンバー。大橋さんは最前列左から2人目です。

「清まりの山」「再生の山」冠着 令和7年年頭登山 仙石区出身 工藤修

 令和7年のはじめ、冠着山へ年頭のお参り登山に行ってきました。年々降雪量は減っていますが、その日は冬山らしく雪が降り積もっていました。林道の途中までは車で行かれましたが、あとは歩いて登りました。
 歩き始めてほどなくして不動滝に着きました。滝は白く凍っていて、その美しさに心を洗われ、透き間を流れる水で身を清め、澄んだ空気の中白い雪道を独り進みました。
 しばらく歩く中、動物の痕跡を見つけてたくましさを感じたり、経年変化によって、独特の雰囲気で森に立つ展望台が、どこか寂しさを発するのを感じながら、坊城平キャンプ場までやってきました。
 キャンプ場は一面真っ白く、聞こえてくるのは風と木々の揺れる音だけで、歩いてきた体の疲れを清々しく癒してくれました。
 キャンプ場の鳥居をくぐり、雪の帽子を被った冠着十三仏の横を通りながら、森の間から善光寺平を眺めて児抱岩の所までたどり着きました。
 児抱岩は昔から「神仏が宿るお岩」として郷土の人たちに大切に守られてきました。ですが、とても残念なことに、数十年前からロッククライミング用の金具が打ち込まれてしまい、痛々しく泣いているように見えました。
 今後訪れる皆さんと共にお岩を大切にしていきたいと祈りを捧げた後、鎖場も登山道も雪に埋もれてしまった場所を何とか通り抜けて山頂の神社に到着しました。
 やっとの思いで辿り着いた山頂は、温かな陽が差して白くキラキラと輝いていました。
 神社でお祈りをし、大好きな「天狗のブナ」に挨拶とハグをして一息ついていたら、見る見る霧が巻いてきて、これはまずいと思ったので急いで駆け下りました。下りは雪のおかげで滑るように降りられました。
 今回のお参りにあたっては、願いと問いを冠着山に聞いてもらいたくて登りました。
 冠着山は、「生まれ清まりの山」「再生の山」と言われています。麓への帰り道、来る時に歩いた自分の足跡の隣りをまた歩きながら、「新しい命をいただいた」と感じつつ、悲しいことや苦しいこと、願い事や悩み事、リフレッシュして元気が欲しい、そんなそれぞれの想いに答えてくれるお山だと改めて感じました。
 私自身は微力ですが、皆様と一緒に冠着山を愛し大切にして行きたいと思います。(登山中のほかの写真を4ページに掲載)

「さらしなの地名力」を一冊に

 都人を千年に渡って魅了してきた「さらしな」の地名力を、シリーズで紹介している「更級への旅」。「更級日記」が国宝に指定されてことについて書いた265号までの全号を、一冊にまとめました。
 さらしな堂のサイトには過去号をすべてアップしていますが、見ていない方もおり、めくってお気に入りを見つけてもらったり、あらためて読んでもらったりしたいと思いました。更級小学校、佐良志奈神社、さらしなの里友の会、戸倉図書館、県立長野図書館に寄贈しました。資料館とさらしな堂にもあります。(芝原区・大谷善邦)

新学芸係長あいさつ

 4月から宮澤久美の後任でお世話になっている学芸員の中村徳宏です。
 今年は平成17年に旧更級郡大岡村が長野市に編入され、古代から続いた「更級郡」が行政区画から消滅して20年となります。
 先史時代から現代にいたるまで、豊かな自然と歴史に恵まれた地域の魅力をより多くの方々に知ってもらうためにも「更級」の名前が残るこの地で、館長はじめ資料館スタッフや更級地区の皆さまと一緒に盛り上げて行きたいと考えております。