戦国時代の絵師長谷川等伯が描いた国宝「松林図屏風」(上の写真、東京国立博物館蔵)が、等伯の生まれた石川県七尾市の石川県七尾美術館で、2025年秋、20年ぶりに展示されました。その様子を伝えるNHK日曜美術館アートシーン(同年10月5日)では、能登半島地震で被災した地元の人たちの感想がいくつも紹介され、この作品は見る人の慰めきれない心のかなしみを癒す絵だと感じました。「松林図屏風」には、古今和歌集の「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」の主題である慰めきれない心の世界が描かれていると思いました。
長谷川等伯は天文8年(1539) の生まれ(没年は1610年)。20代から七尾で日蓮宗関係の仏画や肖像画を描いていましたが、30代以降、京都に上ります。当時の画壇のトップ狩野派に画風を学び、牧谿、雪舟らの水墨画にも影響を受けました。千利休や豊臣秀吉らに重用され、等伯を始祖とする長谷川派も狩野派と対抗するようになりました。
その等伯の代表作が水墨画の「松林図屏風」(六曲一双、各縦約157㌢、横356㌢)。ふるさと七尾の海沿いの白い霧が舞う松林の風景がモチーフで、等伯が跡継ぎの長男を亡くした後の50代に描いたというのが美術史家の共通認識だそうです。とすると、そもそもこの作品は嘆きと悲しみの中から誕生したとも推察できます。
NHK日曜美術館アートシーンで放送された、震災からまもなく2年を前に観覧した人たちの声です。「あの松林の向こうに行ったら会えるんじゃないかな」 「奥に行ったら自分の求めているものにたどりつけそう」 「なくなってしまったものを思い出させる」「手前にある松の一本一本の力強さ。震災から復興に向けてやっていこう。毎日毎日やっていくしかない」「自分の中のいろんな感情もこの霧の中にまぎらわしてもらえる安堵感というか…」
等伯の生涯を描いた「等伯」という小説で第148回直木賞(2012年)を受賞した安部龍太郎さんも会場を訪ね、語っていました。「一つ一つの松が亡くなった人の魂のように感じる。すーっと向こうに連れていかれるような感じ。(その先が絵の奥に描かれた)あの雪山。ひとりひとりが一生懸命生きてやがてこの世を去って魂の世界に行く。やがて自分も行くある安心感を感じます」
安部さんの「等伯」は、等伯が「松林図屏風」を描いたのはなぜなのかを物語で解き明かす作品で、最後の場面が特に感動的です。長谷川派という絵師の一門の後継者を期待していた長男の死の真相を明らかにすべく時の天下人豊臣秀吉に訴え出た等伯に対し、これまで見たことのない絵を描くことを秀吉の側近が命じます。期待に添えなければ命さえ危うい状態のもと、描いたのが松林図屏風。お城で披露されたこの絵を前に秀吉、そして臣下の徳川家康ら時の有力武将の漏らす感想。その内容が多くの戦いをしてきた武将のまさしく慰めきれない心の吐露なのです。詳しくは本をお読みください。

