口ずさみたい嘆きの歌 3

最後なる大岡村は二〇〇五年長野市となり更級郡消ゆ

 さらしなの里が千年以上前から都人のあこがれだった理由を調べ、30年近くになります。生地の更級村という自治体名が、国の進めた昭和の大合併(1955年)でなくなり、「さらしな」を自治体名として復活させるチャンスだった平成の大合併では候補名になりながら叶わず、さらにその数年後には更級村が所属していた「更級郡」も消滅してしまいました。

 この歌は、「さらしな」という地名の魅力を、多様な角度から紹介するシリーズ「更級への旅(更旅)」を書く中で私が作ったものです。短歌の月刊誌に投稿して入選しました。思いは伝わったとうれしくなりました。その思いとは無念さです。復活のチャンスを逃し、敗者に甘んじているさらしなの無念さを、散文ではなく、短歌で表現できないかと考えました。

 所属する最後の自治体だった大岡村が2005年、合併して長野市となり、都人の憧れだった更級郡がなくなった―こうした歴史の経緯と事実が、短歌のリズムと音数に収まったのには驚きました。無念さはいまも変わらずですが、この歌を口ずさむと、更旅をずっと続けようあらためて思います。

「更級への旅」は次をクリックしてご覧ください。https://www.sarashinado.com/category/saratabi/

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 さらしなの里を全国に知らしめた古今和歌集の「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」の魅力を解説する本をこのたび作りました。https://www.sarashinado.com/2025/12/12/hajimarinouta/ 慰めきれないかなしい心を癒したいとき、歌が大きな力を発揮することがあります。嘆きの歌の力について書いています。