さらしなで嘆きたかった室町武士(更旅279号、口ずさみたい嘆きの歌5)

 さらしなの里最大規模で冠着山(姨捨山)のふもとにあるお宮武水別神社(たけみずわけじんじゃ、千曲市八幡)に室町時代の都の武士が奉納した和歌の巻物が伝わっています。「秋日同詠五十五首和歌」と題が記され、詠んだのは蜷川貞相(にながわ・ていそう)という人。この巻物についての論考(「蜷川貞相の法楽和歌奉納と領主間ネットワーク」国立歴史民俗博物館名誉教授井原今朝男さん)を読み、蜷川貞相という武士の概要が分かりました。その上で和歌を読むと、さらしな姨捨が、室町都人にも人生晩年の嘆きを吐露する格好の場として選ばれたことが分かります。(以下は井原さんの論考に私の解釈を加えたもの。画像クリックで拡大、印刷できます)
 テレビアニメ「一休さん」をご覧になった方は覚えていると思います。一休さんに知恵を借りる「しえんえもん」という武士が登場しますが、この武士は蜷川新右衛門という実在者がモデルだとのこと。井原さんが論考で示した一門の系図を見ると、貞相は蜷川新右衛門の兄の孫になります。蜷川一門は室町幕府の政務や財務をつかさどる政所で仕事をする高級官僚を輩出しており、井原さんによると、貞相は信濃や甲斐(山梨県)の有力者との取り次ぎ役も担当していたそうです。貞相の30~50歳にかけては、大名が東西に分かれて11年戦った内乱の「応仁の乱」がありました。
 そんな情報を入れ、井原さんが活字に起こした55の和歌を読みました。終盤の歌に老いの嘆きを詠んだものが多いのに気づきました。列挙します(大谷の解釈で濁点や漢字、送りがなを施した部分があります)。

 末遠き君が代はいや千代までと契りてともに相生のまつ 
 伊勢の海や見わたりはまもみな河のながれをまもれ水分の神
 二つなく心を尽くし身を砕き代々に仕えへし老いをあはれめ
 むかしにもかはらず仰ぐがけなれや老木の子葉孫の枝まで
 たらちねの親のおや子の跡をつぐ身のかくまではなどやつたなき
 今ははや五十のあまる老いの坂こえてゆく身をこころくるしき
 身のゆくへやすかれとてぞ手向ぬる五十あまりの歌のことの葉
 八所の神ぞわきてもまもりけんこころにたへず仰ぐ氏人
 生まれこし身を今しれば後前の世よをめぐりてゆく道もなし
 しるらめやよろづの法に友ならぬひとつ心の月の中そら
 むつましき君が恵みを代々かけてたのむゆくえをまもれ諸神

 そもそもこの巻物は、神を喜ばせ心中の祈願を実現させるため「春」「夏」「秋」「冬」の四季と「恋」「雑」の6テーマで詠んだ法楽和歌。四季の歌は季節の情景を詠み、詠み手の心のうちは出にくいものですが、「雑」は出やすいものです。ここに列挙した歌は「雑」に含まれるもので、3首目(傍線)に、室町幕府の官僚としていろいろな調整をし長年苦労を重ねた貞相の胸のうちを感じます。
 奉納したのが応仁の乱終息7年後の1484年。貞相が55歳の節目、詠みためていた歌から年齢と同じ55の歌を巻物にしたのではと考えます。奉納日が「八月吉日」と記されいるので、中秋(旧暦)に合わせたかもしれません。老いの嘆きを中秋に―となると、「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」で有名なさらしな姨捨を意識していたと思います。武水別神社は当時、松尾芭蕉も敬愛した宗祇ら連歌師が立ち寄る地域の歌の拠点でした。貞相自らの持参はかなわないので、連歌師に頼み奉納したかもと想像します。
 なお55の和歌は超絶技巧を駆使した和歌群です。各歌の初めの音をつなげると、伊勢神宮など日本の有力神社の名前になります。ここに列挙した終盤の11首は、つなげると武水神社が祭る水分大明神(すいふむだいみょうじん)となります。晩年の嘆きを聞いてもらうのに、さらしな姨捨の神はふさわしかったのです。巻物と超絶技巧の解説は博物館として2023年に整備された武水別神社神官松田邸で展示。井原さんの論考は同館学芸員の中島丈晴さんから提供を受けました。