さらしなの里の姨捨山の月を、千年以上前に都人のあこがれにした和歌があります。天皇の命で日本で最初に編まれた古今和歌集に載る「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」です。この歌は千曲市が2020年、「月の都」として日本遺産に認定される大きな根拠にもなっており、その意味で「月の都はじまりの歌」と言っていいものです。
ただ、だれが詠んだのか分からず研究が深まっていないのが残念でさらしな堂ではこのたび、姨捨山(冠着山)のふもとに生まれ、さらしなの魅力を30年近く掘り下げて来た立場から、千年以上にわたって日本人を魅了してきた理由と、どのような経緯でこの歌が誕生したのかなどを考察する本を作りました。魅了された現代の著名作家たちのことも紹介しています。
A5判、80ページ。1部千円。千曲市日本遺産センター(千曲市八幡姨捨4993−1)でも販売しています。表紙の写真は、姨捨山(冠着山)の秋の空の様子です。2027年には、この歌の歌碑が姨捨山(冠着山)と「姨捨の棚田」を眺められるビュースポットに建てられる予定です。
本書についての感想を、私も会員である短歌結社「コスモス短歌会」長野支部の山田宗夫さん(長野県駒ケ根市在住)が寄せてくださいました。山田さんのご了解を得て、掲載します。
「月の都はじまりの歌の謎を解く」を拝読しました。文学的角度からの視点を中心に、広い知見が記されて、これからの研究者にとっては指針となるありがたい研究書でした。私には全く知らないことばかりで、ありがたく読みました。また文体が読みやすくて、これも細やかな工夫だと思いました。
三つの章からなる御書を次のように読みました。
一つの章では、「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」の成立背景、どのようなシチュエーションでどのような人が詠んだのかについての解説があります。
朝廷の東国支配の過程で都鄙間での情報伝達があった、防人の歌にさらしなの関係者がいるのもその一つ、古今和歌集の編者である貫之の一首「月影はあかず見るともさらしなの山のふもとに長居すな君」でも明らかなように、さらしなの山の情報は、当時都で知られていたと想像される。
では「よみ人しらず」とされている作者はだれなのか。都の旅人が都の方角に向かって郷愁を詠んだ(滝沢説)、万葉集に出る「わが心歌」の共通点から女性作者説(小川説)、同様に万葉歌に宴席の歌があるのを根拠に鄙の人との交流の場での赴任の官吏による作とする推論。「おはせべ⇨おばすて」とか、作歌には阿部仲麻呂の望郷の歌を踏まえるとかの仮説も加わり、大谷さんの広角度からのアプローチが丁寧になされて説得力がある展開です。
別の章は、この一首がのちにどのように受け取られ、どのような波紋をもたらしたかについての説明です。
まず芭蕉が「わが心歌」に惹かれて現地に急いだのは間違いない、「更科紀行」に示されたとおりである、「わが心歌」と更科紀行で詠んだ句の「姨」に芭蕉は母親のイメージを重ねていた、「野ざらし紀行」の一句にある亡母への「涙」と「姨」への「涙」には共通な思いが感じられるからだ、さらに芭蕉は姨捨山に捨てられた老女が主人公の世阿弥の「姨捨」を知っていて、その老女と母とをすでに重ねていたのだ―ここでも大谷さんの推論には独自性があり、かつ説得力があります。
もう一つの章で展開している、後世の作家たちへの影響についての論説のまとめでは、作家たちそれぞれが「わが心歌」にどのように共感し、どのような歌の作者を創造していったかが記されています。このようにまとめられた姨捨の文学的研究はなかったと思われます。大谷さんの力量に深く敬意を表します。まことに面白く読みました。
「おわりに」に記されたお嬢さんの撮影した表紙の写真をじっくり見て、三日月を見つけました。満月へ向けての始まりなのだろう、同時に題名の「月の都はじまりの歌」と重なっていると感じました。ますますのご活躍をお祈りします。(コスモス短歌会長野支部・山田宗夫)


