美しさらしな(8) 都人がみやげ話にした景色

 写真は、冠着山(姨捨山)の西側にある古峠(ことうげ)からみたさらしなの里千曲市。1000年以上前の飛鳥、奈良、平安時代も、都人(みやこびと)が当地に入るときは、この峠(東山道の支道)を越えていたと考えられている。都人はそのすごさ、美しさに息をのんだにちがいない。
 当時は今のような家並みはなく、まず目に飛びこんできたのは千曲川の雄大な流れ、加えてその流れが大きく向きを北に変える姿にも驚いたのではないか。大きな曲線はおだやかさ、豊かさ、あたたかさを感じさせる。カーブの部分は水面が膨らんでみえるので、その印象はよけい強まる。長旅で疲れた都人の心身は癒されただろう。左遠方の飯縄山の姿は末広がり。三角形には安定感がある。右から差し込んでくるシャープな一重山(ひとえやま)の稜線。善光寺平と一線を画し、さらしなの里が小宇宙であることを感じさせたと思う。
 大雨が降ったときは、千曲川の流れは今よりもずっと山寄りに広がり、平地の部分は大半が水面になっていたはず。夜、その上空に月が上った景色を都人はみることもあっただろう。四季折々に趣を変える里の景色を、この峠からみた都人が、当地の美しさを持ち帰ってみやげ話にしていたはずだ。「春の芽吹きの景色はすごかったぞ」「いやいや、中秋のころはもっとすごいぞ」「冬は一面真っ白。それはみごと」…さらしなの里の美しさはそんなふうに情報交換されて、磨き上げられ、都人の大きなあこがれになっていったのだと思う。