万葉集にある白の美意識

 日本最古の歌集「万葉集」には、さしすせそのさ行の音(S音)が含まれる歌が多いように思う。まだ数えてみたことはないが、全体にS音が奏でられるイメージが強い。そう思ったきっかけは次の歌だ(漢字、読みの表記は岩波文庫「新訂新訓万葉集」)。

 信濃なる筑摩(ちくま)の川の細石(さざれし)も君しふみてば玉と拾(ひろ)はむ (巻十四 三四〇〇)

 信濃の国(長野県)を流れる千曲川の河原で交わされた男女の恋の歌(作者不明)。あなたが踏んでいる足もとの小石を宝物として大事にしますという意味だ。生家が千曲川の河原に近いので、この歌を最初に暗記したのだが、信濃の「し」、さざれしの「さ」と「し」、君しの「し」、このS音の響きと若い男女のやりとりのすがしがしさが、とても響き合っている。さざれしの「れ」、ひろはむの「ろ」といったR音が躍動を感じさせる。

 特にS音を強く感じたのは君しの「し」だ。辞書によると。このしには強調の意味(副助詞)がある。今も「君しかいない」というようにその用法は残っている。「いつしか」の「し」も同じ用法だという。この強調のしを使った歌は万葉集に多く、新しい元号の令和の出典となった万葉集の歌人、大伴旅人の次の歌もそうだ。

 世の中は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり (巻五 七九三)

  この歌は大伴旅人が妻を亡くした後に詠んだもので、この世のはかなさをを嘆いている。知る時しの「し」が強調だ。この歌もむなしき、知る時し、ますます、かなしかりとS音がとても多い。内容は暗いが、その響きには清澄さを覚える。

 S音が気になって万葉集を読み直していると、万葉集自体がさ行の音の特長であるすがすがしさをイメージさせる歌で始まっていることに気がついた。その歌はこうだ。

 籠(こ)もよ み籠(こ)持ち みぶくし持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 我こそは 告(の)らめ 家をも名をも (巻一 一)

 万葉集研究者の小川靖彦さんの著書「万葉集 隠された歴史のメッセージ」によると、この歌は天皇が后としたい女性への求婚の歌だ。春先、籠を持って若菜を積んでいる女性に名前を名乗れと呼び掛け、わたしは大和の国のすみずみまで治めているものだぞと言っているのだそうだ。この歌は「王の若々しい力に満ち」ており、人々の前で朗誦されたときは「どれほど新鮮な感動を与えたことか」と小川さんは書いている。
 そうした「新鮮な感動」が生まれる理由としては、「ふくしも」「みぶくし」「菜摘ます」「そらみつ」「おしなべて」「我こそ」「しきなべて」―とS音が入った言葉がいくつも並ぶことが影響していると思う。中でも「そらみつ」の語感は格別だ。S音とR音が相乗し、直後の「やまとの国」のすがすがしさと躍動の姿を強烈にイメージさせる。  

 このようなすがすがしさと躍動を感じさせる和歌としては作者不明の次の歌が有名だ。

 多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの児のここだ愛(かな)しき (巻十四 三三七三)

  この歌は現在の山梨県、東京都、神奈川県を流れる多摩川が舞台。清らかな流れの中で布を水にさらして白くしている女性がかわいくて仕方がないと歌っている。さらす、さらさら、愛しきとS音とR音の繰り返しが、多摩川の景色と男女の気持ちのすがすがしさを見事に想像させる。 こうした音の響きは読む人や聞く人の意識に強く作用したのではないかと思う。清澄さや清浄さ、躍動を至高の価値とする感性だ。白の美意識と呼びたい。 約4500首ある万葉集の最後の歌も、白の美意識を強烈に感じさせる。

 新しき年の始の初春のきょうふる雪のいや重(し)け吉事(よごと) (巻二十 四五一六)

 作者は大伴旅人の息子で、万葉集編纂者でもある大伴家持。新しい年の初めに雪が降り、その雪がことし続く良き事の吉兆であると歌っている。新しい年を迎えた日本を、白のイメージで言祝いでいる。 万葉集に触れた後の時代の都の人たちは、こうした白のイメージに影響を受けて歌をつくり、ものの考え方や見方、感性も育んでいったのではないだろうか。