雪に磨かれた白の美意識 

 「日本国民統合の象徴」という実体を作ろうとした平成天皇の言葉や振る舞いには、すがすがしく清浄なものを強く求める日本人の「白の美意識」が映し出されていると思ってきた。その美意識はどのように作られたのか、美意識の凝集体である古今の和歌を手掛かりに調べたり考えたりしてきた。今から1400年前にできた日本最初の歌集「万葉集」の歌のしらべと内容に、その原点があると考えているが、この美意識はその後に続く勅撰和歌集などを読むと、徐々に発展していったことが分かってきた。その発展に大きくかかわったのが「雪」で、身のまわりの美しい景物を雪に見立てて「白の美意識」を磨いていったことがうかがえるのだ。

 今でこそ桜の花や月は白色のイメージでとらえられるのが普通だが、昔からではないようで、万葉集には桜の花と月を白色のイメージで詠んだ歌が希薄だ。白のイメージで詠んだ花では、次のような梅の花を雪に見立てた歌がある。

 わが園に梅の花散るひさかたの天(あま)より雪の流れ来るかも(八二二)

 梅の花が庭に散っている、空から降ってくる雪のようだ―という感慨を詠んでいる。これは新しい元号「令和」の二文字の出典元になった、奈良時代の梅の花見(梅花の宴、九州の大宰府)で詠まれた。詠んだのは大伴旅人(おおとものたび)で、万葉集の編纂にかかわった大伴家持(おおとものやかもち)の父親だ。

 奈良時代はまだ中国の風雅をたっとぶのが支配的で、春を代表する花は桜より梅であり、梅の花は桜より早く咲き、梅の花が咲いているときに雪が降ることもよくあったと思う。大宰府での花見では、梅を題材に参加者たちが歌を作り、万葉集には全部で32首の歌がのっている。その中でも大伴旅人の歌が一番いい歌だと今も評価されている。

 梅の花びらは確かに白いが、赤いがくも目立つ。しかし、旅人の歌を耳にしたり読んだりした人たちは、梅の花といえば雪のような白色と思うようになった可能性がある。

 万葉集に盛りまれた美意識を踏まえて作られた次の大がかりな歌集が「古今和歌集」だ。万葉集の最終的な成立から約150年後の900年代初め(平安時代)にできたとされる。このころになると、歌はひらがなで書くようになっており、春の花の重点も梅から桜に移ろうとしている。今では花といえば桜をさすが、当時は桜の花は大半が桜花(さくらばな)と花の前にあえて「桜」をつけて詠まれている。これは梅の花との区別が必要だったためだ。その桜が古今和歌集の時代になると、雪に見立てられるようになっている。その一つが次。

 み吉野の山辺に咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける(紀友則 六〇) 

 吉野の山を覆うように桜の花が咲いている、雪が降ったかのようだという意味だ。吉野山は日本という国家の礎を築いた天武、持統天皇とゆかりが深い山だ。桜の花が満開の吉野山の白さを雪に見立てて、吉野山を言祝いだ歌とも言える。

 古今和歌集では、この歌のあとにやはり桜の花を雪と見立てた「雪とのみ降るだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ」(凡河内躬恒 八六)の歌が続く。桜といえば雪に似ていてその色は白-というイメージを拡張していく役割をになったことと思う。

 そして古今和歌集から約300年後の「新古今和歌集」の鎌倉時代になると、桜は雪のように白いイメージが浸透、定着しており、さらにここに白い月のイメージが加わっている。その代表的な歌が次。

 雪白き四方の山辺を今朝みれば春の三吉野秋の更科 九条良経「秋篠月清集」

 九条良経(くじょうよしつね)は新古今和歌集にのる最初の歌を詠んだ天皇の側近で、彼の私歌集「秋篠月清集」にのる歌。彼は、桜の花の美しさで知られる天皇家ゆかりの吉野に朝降った雪をみて、月の美しさで都にも知られていた信濃の国のさらしなの里(長野県千曲市、旧更級郡)を思い起こしたのだ。この歌は白一色に染め上がられており、月は白のイメージとなる。

 月を白のイメージで詠んだ九条良経の歌を、さらしながらみでもう一つ。

 更級の山のたかねに月さえて麓の雪は千里にぞしく 九条良経「秋篠月清集」

 さらしなの里の姨捨山の空には月がすがすがしくかかっており、ふもとの里は一面に白い雪に覆われている―。京の都からは行くことがかなわないさらしなの里の美しさを想像して歌い上げている。

 平安末期から鎌倉初期を生きた西行も、雪を持ち出して、月の白さとすがすがしさを強調する次のような歌を作っている。

 白妙の衣かさぬる月影のさゆる真袖にかかる白雪 (山家集 六三〇)

 雪は出てこないが、西行はさらに月の白のイメージを発展させ、人間の至高価値の一つである清浄さと重ねた歌も詠んでいる。

 いかでわれ清く曇らぬ身となりて心の月の影をみがかむ (山家集 九〇四)

 さてではなぜ「白の美意識」を強化するのに雪が大きな役割を果たしたのか。京都の地理が関係していると思う。日々の暮らしが困窮するほどには積雪がなく極寒でもないことが、雪に対する心の余裕を持たせたのだろう。

 このように日本人は、花の桜や天体の月を雪と見立てた過去の人たちのものの見方・とらえ方を受け継ぎ発展させながら、白の美意識をふくよかなものしてきたのだと思う。日本人の美意識を表現するときによく持ち出される言葉に「雪月花」がある。この言葉の先頭に「雪」が位置するのは、唱えやすいということだけでなく、そうした歴史的経過の一端も反映しているのではないだろうか。雪月花とは白の美意識といってもいいと思う。