109号・月の季節の映画「三丁目の夕日」

 21世紀初めの現代は 「太陽の季節」から「月の季節」に移っていると、シリーズ61で書きました。その中で今から約50年前の連続テレビ映画「月光仮面」は、勢いを増す太陽の文化に対抗した月の文化の番組であったとも書きました。「どこのだれだか知らないけれど、誰もがみんな知っている…」という子どもの声の主題歌で知られるあの番組です。
 その後、同番組のDVDや関連の本を当たっているうちに、昭和30年代の日本人の暮らしをテーマにした最近の大ヒット映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(以下「三丁目の夕日」)にも、「月の季節」を感じるようになりました。太陽の光である「夕日」をタイトルに使ってはいますが、これも月の文化を反映する作品だと思います。
 ともに昭和33年
 2つの作品を関連づけたくなるのは、東京タワー(高さ333㍍)が出来上がった「昭和33年(1958)」という時代と大きく関係しているためです。「月光仮面」のテレビ放送が始まったのがその昭和33年です。2回目では、建設途中の東京タワーの足組みが背景に映っています。「三丁目の夕日」の物語は、ズバリ昭和33年を時代舞台に設定し、東京タワーの鉄骨が積み重なりだんだんとできていくシーンに、物語を運ぶ役割を担わせています。
 「月光仮面」で面白いなと思ったのは、東京タワーが戦後日本の復興と高度経済成長を象徴する「太陽の季節」の建築物なのに、その足元で月の文化を濃くにじませるヒーローが活躍することでした。当時、テレビというメディアは、映画に代わって最大の大衆メディアになっていくときなのに、太陽ではなく月の文化のキャラクターがブラウン管をにぎわす。時代を象徴する星は太陽なのに、月にちなんだスーパーヒーローをテレビが世に送り出したていたことに興味がわきました。2008年に出版された「『月光仮面』を創った男たち」(樋口尚文著、平凡社新書)という本を読み、すとんと落ちることがありました。
 寺生まれの川内康範さん
 「月光仮面」の物語は、歌手の森進一さんの持ち歌「おふくろさん」をめぐる騒動で、テレビにもよく映った作詞家の川内康範さんが原作者です。その川内さんはお寺の生まれだったそうです。月光仮面のキャラクターは、薬師如来の脇を固める2菩薩の一方の月光菩薩をもとに作ったそうです。「月光仮面」の前のテレビ番組の視聴率があまりかんばしくなかったことから、別の番組を頼まれた川内さんが、悪を許さないヒーローとして月光仮面のアイデアを出しました。
 番組プロデューサーとの間では「日光仮面」というアイデアも検討されましたが、「月光仮面」に決まりました。正義が世の中にあまねく広まるようにという意図に説得力を持たせるには、影がはっきりできてしまう直射日光の太陽よりも、全体に回り込む感じがする月の光の方が向いていたとも言えます。
 純文学の新しい才能を顕彰する芥川賞を受賞した石原慎太郎さん(現東京都知事)の小説「太陽の季節」が映画化されたのは、「月光仮面」の2年前。「太陽族」という流行語で若者たちが大手を奮い始めた時代に、日光仮面ではなく月光仮面というキャラクターが生まれのは、お寺出身の川内康範さんという作家の存在が大きく関係していたわけです。シリーズ106で触れたように仏教と月はとても相性がいいのです。
 戦後の貧しさ
 「三丁目の夕日」の物語は繰り返しになりますが、月光仮面がテレビに登場して大人気を博した昭和33年をズバリ取り上げ、高度経済成長の波に乗ろうとして世の中が活気づく時代を扱っています。映画の中ではテレビの「月光仮面」にちなんだシーンは登場しませんが、東京タワー近くの界隈が舞台。東北からの集団就職で上京し、家族経営の自動車修理工場に住み込みで働く少女、いずれ社員をたくさん雇い自社ビルの建設を目指す工場社長…。しかし、まだ戦後の貧しさがある中ですから人々の哀しみの事件がたくさん出てきます。何度も泣かせる映画です。
 芥川賞を目指す向かいの駄菓子屋の男の生きざまにも、物語を運ぶ大きな役割を担わせています。これも石原慎太郎さんの「太陽の季節」の芥川賞受賞が社会に巻き起こした反響の大きさをモチーフにしているかもしれません。
 振り向けば月?
 「三丁目の夕日」は、このように高度経済成長のただ中、つまり「太陽の季節」の社会や人々の暮らしを踏まえています。しかし、見終わると「月の季節」を感じる、そのわけについてです。
 夕日は「斜陽」「落日」などという異称とは違い、希望を感じさせる光です。生きる哀しみ・切なさも感じさせます。闇も含まれる自然現象だからだと思います。高度経済成長期の日本を光にたとえるとしたら、地平線から昇り、輝きを増す「朝日」と感じていましたが、生きる哀しみにあふれているこの映画を見て、「夕日」の方がふさわしいかもしれないと思いました。一方の月の光ですが、「月影」という言葉があるように月光は光と闇でなりたっているため、闇と関係が深いという意味で「月」は「夕日」と相性がいいのだと思います。
 さらに、映画の物語が、現代から昭和30年代を振り返させる仕掛けに富んでいるのも、月の季節を感じさせる理由です。映画の最後のシーンが特に印象的です。主人公たちが哀しみの事件を一通り解決し、東京タワーの向こうの山並に沈もうとする夕日を眺めながら「50年先だって夕日はきれいだよ」「ずっとそうだといいね」と言葉を交わします。
 「50年先」というのは現代のこと。経済不況、デフレ、雇用不安、崩壊の危機にある地域共同体…希望のある未来をイメージしにくい現代だから、昭和30年代の日本の社会をもう一度味わってほしいというメッセージだと思いました。このシーンで、もし主人公たちが後ろを振り向いていたら、そこに月が現れていたかもしれないとも想像しました。写真は2つの作品が収録されたDVDのジャケットです。

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