124号・「田毎の月」題材の新たな浮世絵

 シリーズ122で、さらしな・姨捨にまつわる文化財を収蔵・企画展示する「月の都文学館」の設立構想について書きました。その後、姨捨山の歴史文化の紹介に取り組む「栞の故郷推進委員会」会長の馬場條さんから、「田毎の月の浮世絵を手に入れた」と連絡をもらいました。左の写真がそれで、多くの人に見てもらいたい作品です。
 芭蕉と越人?
 明治時代に摺られた木版画で、タイトルは右上端にある「更科 田毎の月」。横長の絵が、3枚(それぞれほぼB4判サイズ)続きで構成されています。作者である楊洲周延(1838〜1912)は、美人画や文明開化後の日本の風俗画などで人気を博した浮世絵師です。中央の絵の右端に「芭蕉面影」の文字が刻まれた石と大きな岩がありますので、長楽寺(旧更級郡八幡村、現千曲市八幡)の境内から下を見通す構図です。
  まず目に飛び込んできたのは、中央の鏡台山の窪みに鎮座する満月、中秋の名月です。大きすぎる気もしますが、楊洲周延にはこれくらい、当地の月が存在感を与えていたということの裏返しでしょうか。
 田1枚ずつに月が映る中、畔道を2人が歩いています。これは「更科紀行」の旅で当地にやってきた松尾芭蕉とお伴の越人(もしくは権七)を見立てたものでもあるのではと、馬場さんはおっしゃいます。よく見ると、老人と小僧という年の差も感じますが、後ろ姿というのが憎い演出です。想像させる仕掛けでもあるので、見る人によっていろいろな人物に見えてきます。付き人が手にしているのはひょうたん。中秋の名月なので、中にはお酒が入っているのではないでしょうか。
 それから写真でちゃんと映っているか心配ですが、実物は和服姿の4人の女性が浮き上がるような鮮明な色遣いになっています。このため実物はとても奥行きを感じさせます。
 「田毎の月」を描いた浮世絵としては、歌川広重のもの(右の写真。早稲田大学図書館蔵)がよく知られていましたが、新たに作品が加わりました。 
 千曲市に寄贈
 「田毎の月」と言っても、「実際に1枚1枚の田に月が映る景観が見えるわけではないだろ」と言う人がいます。確かにそうですが、「田毎の月」という言葉を聞いた人の多くはまず田一枚ごとに月が映っている光景をイメージします。実際に映るっているかどうかは重要ではなく、すべての田んぼに月が在る光景を人間はイメージするくらいに想像力があるということです。そのため文人をはじめ、たくさんの人が当地にやってきました。畔道を歩きながらたどってみれば、田んぼそれぞれに月を見つけられます。同時には見えなくても歩けば田ごとに月は映っています。
 鏡台山から満月がのぼる中秋は稲刈りの時期なので水は張ってないのですが、想像の世界では水が張ってあると思った人が多くいました。神事と密接に結びつくほどに重要だった稲作と古来日本人が最も愛でてきた中秋の名月の文化を融合させた美を、浮世絵師が当地を題材に分かりやすく描き出したと言えます。事実であるかどうかは決定的に重要なことではありません。
 馬場さんがこの浮世絵を入手した長野市の古書店、新井大正堂書店さんによると、楊洲周延作の「更科 田毎の月」は、存在は浮世絵評論家の本などで分かってはいましたが、ようやく出てきたそうです。いつ誰が発行したのかという本の奥付に当たる右下の囲みには「明治」とだけ記され、発行年が分かりません。出回る前の習作、あるいは見本のような形で摺られたものでしょうか。
 新井大正堂書店さんは、商売上の守秘義務から入手先や経緯について明らかにすることはできないと言いますが、山に捨てるために母親を背負う息子と息子の帰りの道しるべにするために枝を折る母親―という親子愛を描いた浮世絵を以前、馬場さんがお買いになった経緯(シリーズ50参照)から、新井大正堂書店さんが馬場さんにお声を掛けたそうです。

 枝折りの浮世絵と同じく馬場さんは楊洲周延の作品も8月下旬、千曲市に寄贈しました。今秋の「さらしな・姨捨観月祭」期間中の9月25日(土曜)、長楽寺本堂で午前9時半から後3時まで一般公開されます。無料です。

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