125号・「月の都」の貴重な暗闇

 松尾芭蕉の「更科紀行」を漫画化した「まんが 松尾芭蕉の更科紀行」の著者、すずき大和先生と、千曲川の水面に映える「月影」を見ようと千曲市内を満月の夜、めぐったことがあります。月影とは月の光のことですが、光なのに影とも呼んだ古代日本人の感性が面白いと思います。すずき先生は、絵本「芭蕉さんと姨捨山の月」(仮題)の制作するため、現場を踏まえて色遣いを施していきたいとお考えでした。
 千曲川周辺の電灯の光や堤防を走る車のライトが入り込み、真っ暗闇の中での水面の月影を見るのはなかなか困難でしたが、月を楽しむには闇がとても大事であることを実感しました。
 中秋の消灯
 すごい闇の世界だと分かったのは棚田です。シリーズ前回124でご登場いただいた栞の故郷推進委員会会長の馬場條さんから「夜は棚田一帯が真っ黒」と聞いていたので、意識して見てみました。その通りでした。馬場さんは千曲川右岸(旧埴科郡)在住なので、冠着山を頂点とする旧更級郡域の山腹全体を眺める機会がよくあるんだそうです。長楽寺辺りから羽尾地区(旧更級村)まで真っ暗闇です。
 右から左上にJR篠ノ井線の列車の車窓の灯りが上っていくのが際立ちます。銀河鉄道のようだという人の気持ちがよく分かります。今年二月に国から指定された重要的文化景観の領域を包み込む広大な暗闇の世界です。農作物への配慮から電気はつけないという事情もありますが、灯りにあふれる現代にとってとても貴重な空間だと感じました。
 もうひとつ、大きな暗闇だったのは、千曲市須坂地区(旧更級村)の堤防です。シリーズ118で紹介した車が通れないサイクリングロードで、堤防沿いは田んぼだけなので光源がありません。河原に繁茂するニセアカシアも高木になり、対岸からの光をさえぎってくれます。ここで、すずき先生と千曲川に映える水面の月影を観察しました。こうした闇も国道18号のバイパス(シリーズ118参照)ができればなくなってしまうのかと残念です。
 そんなことを考えていると、、そういえば「姨捨駅からの夜景が素晴らしい」と言うけれど、これは灯りがすごいのであって闇ではありません。そんなに喜んでばかりもいられない気がしました。ただ、私たちがめぐったのは車で行きやすいところなので、人工的な光が多いのは当然です。闇は歩いて行くところには残っています。
 畑の中の道を夜歩いていて、地上が光っている場所があってびっくりしたことがあります。近づくと、雑草防除のために畑に敷かれた黒いビニール製のマルチでした。空に浮かぶ月の位置も重要で、そのときは真上に近い感じでした。
 毎夜、暗闇ばかりでは暮らしにくくなるので、年に一度、中秋のときに市民全員で灯りを消して月影を楽しむことでもいいのでは―闇探しをした後、すずき大和先生はそうおっしゃっていました。
 寝つきやすくなる
 月影もいろいろな楽しみ方があるものと感心した本があります。「図解『月夜』の楽しみかた24」(講談社、中央の写真は表紙)。暗闇研究家で作家でもある著者の中野純さんに感動の深い手軽な楽しみ方を教えてもらったことがあります。
 やってみて感激したのは「飲月」という遊びです。杯や皿など底の浅い器に水やお茶、お酒を入れ、飲み物の表面に映る月と一緒に飲み干す遊びです。月が夜空の低い所にあると表面に映るのが見えにくいので、満月など高く上がるときがいいようです。器を自分の鼻に当てて目のすぐ下に持ってくると、ゆらぐ月を間近で見るため「目の前を月が飛び回り、人だまの群れが乱れ舞う感じがする」と中野さんは言っていたのですが、その通りでした。
 月は欠けて消えてもまた姿を現し満ちていくことから、「不死と若返り」の象徴ともされるので、「月を飲んだら不死身になるかもしれない」と中野さんは言います。
 まだやっていませんが、面白そうなのは、「マイ田毎」です。おわんに張った水に食用油を差すと、浮いた油の玉に、それぞれ月が映るそうです。玉の大きさによって、月の大きさもちがって映るそうです。当地の棚田一つ一つに月が映る「田毎の月」のようであることから中野さんは「マイ田毎」と名付けました。水と油の代わりに、豚汁を使えば食べ物と風流の両方を味わうことができるそうです。
 月夜に傘をさす「月傘」も楽しそうです。書類に穴を開けるパンチで傘に小さな穴をたくさん開け夜にさせば、穴から月の光が差しこみ、傘の中で「木漏れ月」を楽しめるそうです(表紙の写真はその様子をイラストにしたものです)。
 真っ暗闇は身近になかなかない時代ですが、周りに光源がない場所であればまずOK。「暗い所では視覚だけでなく、ほかの感覚も鋭くなる。感覚が解放されていく感動を味わってほしい」と中野さんは言います。子どもが夜ふかしになると心配する人もいるかもしれませんが、中野さんの経験では、静かな感動なので眠りにつきやすくなるそうです。
 右下の写真は、千曲市小船山にお住まいの翠川泰弘さんが冠着橋から五里ケ峯(シリーズ99参照)方面を撮影したものです。千曲川の水面の月影が映っています。上の写真は昨年七月下旬、冠着山頂から北方向を撮った当地の夕景。中央を流れるのが千曲川、手前が更級地区、右端に冠着橋が見えます。画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。