長野県立美術館で展示された日本画家東山魁夷さん(1908~99年)の「朝明けの潮」大下図を見に行ってきました。皇居に飾られている完成作(写真右上)と同じサイズ(縦約4㍍、横約15㍍)で、その大きな画面全面に描き入れられた波の白色に圧倒されました。完成作は金箔やプラチナなども施され色彩が豊かですが、大下図で東山さんは波が放つ白の美を確認していたのではないかと感じました。(画像クリックで拡大、印刷できます)
海や山の風景画家として知られる東山さんの作品には青や緑を基調にしたものがたくさんあります。そこに登場する雪や川の水、波のしぶきの白の描写が特に好きで、白い馬の連作についての東山さんのエッセーの中には、白い馬は「心の祈り」という言葉があるのを見つけ、東山さんも日本の伝統的な「白」の美意識を作品に注いでいたと思うようになりました。
「朝明けの潮」は「日本の風土を象徴するものを」という宮内庁の依頼を受けて制作したもので、東山さんは著書「風景との対話」の中で、「(作品を描くための取材旅行で)打ち寄せる波と巖(いわ)に海国日本の象徴を見ようとした」と書いています。このことから東山さんは、画面に日本を描こうとしたことが分かります。大下図を見て、その「日本の象徴」が白であると私は感じたのですが、東山さんの残した文章をたどると、東山さんにとって白が大変重要な色であることが分かります。
一つは敗戦から8年後の1953年、日本を代表する画家たちの展覧会の日展に出品した「たにま」(写真左下、東京国立近代美術館蔵)についての文章です。
それは喜びであった。長い、厳しい冬が去って春が訪れてくるよろこびであった。(昭和)二十八年の日展に出品した「たにま」は、春が来て雪と氷に覆われていた白一色の谷間に、小川が、かすかな音を立てて流れ出る情景である。それを描いた私の心には、長かった冬の後に、萌え出てくる私自身の喜びもあった。
戦争の後、生活が困窮、体調不良も続き、画業も思うようにならないでいたとき、ようやく「生の喜びというものが加わり」、「たにま」という作品が描けたそうです。その後に発表する東山さんの作品に比べると、わたしには地味に見えますが、この降り積もった一面の白い雪と氷の谷間に春の兆しの水が流れ始める風景と、東山さんの心の新生が響き合ったのです。
もう一つ、「緑響く」(写真右下)など白い馬を描き入れた連作についての文章です。東山作品には人や動物などはほとんど登場しないので、よく質問されることがあったそうです。その質問に東山さんは「白い馬は私の心の祈り」と答えています。
私は風景の中に人物や動物を描き入れた作品は殆ど無いと言ってよい位でしたが、不思議なことに、昭和四十七年の主な展覧会に発表した作品には、白い馬が小さく見えているのです。(中略)さて、この馬は何を表しているのかと、時々、人から聞かれたことがあります。私は「白い馬は私の心の祈りです。」と答えるだけで、見る人の想像にまかせてきました。(「東山魁夷館所蔵作品集1」より」)
敗戦から立ち直ろうとするときの作品「たにま」の成り立ちを知ってからは「心の祈り」として描き入れられた馬の白は、生命の輝きでもあると思うようになりました。東山さんは「国民的画家」とも呼ばれます。そう呼ばれるようになったのは、こうした東山さんの世界観も関係しているのではないかと思います。

