グレイトサウンド「さらしな」 さらしなの里で分かる日本の美意識の根源

長野県千曲市の美術館「アートまちかど」で7月31日、日本の美意識、さらしなの美について話す機会を得ました。日本の美意識を語るときに「雪花月」とか「花鳥風月」という言葉がよく使われますが、「白」という色彩をキーワードにすることで、これらの言葉を貫くものがはっきりしてきます。わたしたちの暮らしのすみずみにまで及んでいるたくさんの美意識が説明できます。

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アートまちかど「月の都」展最終章

月の都に魅せられて 白が紡ぐ日本の美 さらしなの美             

 こんにちは。さらしな堂、さらしなルネサンスの大谷善邦です。きょうここにお話をする機会を得ましたのは、この「白 さらしな発日本美意識考」というわたしの本を学芸員の布谷理恵さんが読んでくださったのがきっかけです。自治体の合併で消滅してしまいましたが、千曲市の中央を流れる千曲川の西側地域が所属していた「更級郡」は、歴史を通じて都の人たちの大きなあこがれで、なんでそんなに都人のあこがれになったのか調べ「更級への旅」というシリーズを書いて、ホームページなどで発表してきました。書き始めたのはいまから20数年前、40歳のころです。当時は共同通信の本社文化部の記者をしており、東京と長野を行き来しながら、さらしなのことを調べ、その結果、「さらしな」が超一級のブランド地名であることを発見しました。さらしなはスーパーブランド地名、後世に残すべき宝の地名、地名遺産です。調べて分かったことをある程度書いたとき、日本人の美意識は「白」という色彩の白をキーワードにすると、たくさんのことが説明できることに気づきました。「さらしな」について書いてきたことを「白」というキーワードの観点でまとめたのがこの本です。

日本人の美意識は雪、月、花と書いて雪月花とか、花、鳥、風、月と書いて花鳥風月というようなキーワードがよく使われますが、こうしたキーワードを串のように貫いているのが「白」だと思っています。当地のさらしなという地名は白い「さらしなそば」の名前にもなったように、すがすがしく躍動する響きがあります。この本に「さらしな発日本美意識考」という大きく構えた副題を添えたのは、日本人の伝統的な美意識の核心、日本人の美意識の根源がさらしなの里で分かると確信したからです。

さらしなのことをこのようにまずお話したのは、日本遺産として認定された千曲市の「月の都」の魅力は、このさらしなの奥深い魅力を知るといっそうパワーアップするからです。そもそも千曲市が日本遺産に認定されたのは、さらしなという地名の里が千曲市にあったからなんです。姨捨はさらしなの里の一部分です。

月の都もさらしなもアートです。この会場に展示された作品が面白いと感じる心の働きは、月の都やさらしな姨捨の景色、歴史文化に触れてすごいと思う心の働きと同じです。

以上のことを納得してもらうために、千曲市が月の都として日本遺産になった理由から始めます。きょう一番お伝えしたいのはレジュメの3、自分をすがすがしくして躍動させる心の働きである「白の美意識」のことです。1と2はできるだけ簡潔にいきます。

月の都になったのはなぜ?

まずは、月の都としての千曲市の風景を代表する景色からです。これは写真家の増田恵(めぐむ)さんが9月、中秋の夜、姨捨の棚田の中にある長楽寺というお寺の大岩、姨石のあたりから撮影したものです。中央奥に光っているのが月で、「鏡台山」という山のてっぺんから現れようとしています。

鏡台山とは漢字が示すように、鏡が置かれた台のことで、むかしは女性がお化粧をするときによく使ったものです。わたしの母も昔、鏡台を使っていました。

この山の鏡台という名前は、月を鏡と見立て、山の姿が月が現れるお芝居の舞台のようなので、「鏡台山」という名前が付けられたと考えられます。

手前には、「姨捨の棚田」。1枚1枚の田に月が映る様子をいう美しい言葉「田毎の月」で有名です。その向こうに千曲川、大きな水の流れは月の光を美しく照らし返します。堤防がなかった昔は雨が降れば、水が一面に広がり、月の光を荘厳に見せたでしょう。千曲川の向こうは鏡台山をはじめ山の峰が屏風のように立ち上がり、まさしく月がこれから夜空を上がっていく舞台です。この月を今わの際にお迎えにくる阿弥陀如来に見立てる人たちもいました。

こうした奥行きのある大きな空間の光景が全国からやってくる人たちにさらしなの里が、月の名所というスポットにとどまらない、立体的な時空間を意味する「月の都」というイメージを強く抱かせました。

千曲市が月の都になった理由をもうすこし見ていきます。グーグルアースで千曲市を上空から見た姿を切り出しました。方角は上が東、下が西。JR姨捨駅から空に上がると見える風景だと思ってください。千曲川が千曲市の中央を流れています、西側の堤防は、車が通れない歩行者と自転車の専用道。千曲川は自転車の親子のように右から左に流れ、左端で大きく、北へ流れを変えています。

いくつかの地名を紹介します。まず1000年以上前から都人のあこがれだった「さらしなの里」。千曲川の西側地域、かつての更級郡です。みなさんのいるアートまちかどはここ。

次はさらしなの里のシンボルである冠着山。 冠着山は遅くとも平安時代には、姨捨山とも呼ばれ、全国に有名になった山です。それから「姨捨の棚田」。そして、さきほど紹介した鏡台山。千曲市では、月は東側のこの鏡台山から現れ、千曲川の上空を渡って、冠着山を照らしながら、「姨捨の棚田」のある西側に沈んでいきます。

そしてきょうぜひ覚えて帰っていただきたいのが東山道の支道という都とつながっていた道のことです。

東山道というのは、平安時代の国道で、その国道から別れた国道がさらしなの里を通って日本海に通じていました。京都の人たちがさらしなの月に大きな関心を持つようになったのは、京都とさらしなの里がつながるこの道が冠着山の西側の古峠を越えて通っていたことが大きく関係しています。古峠に立つとこれまで見てきたさらしなの里のほぼ全体の景色が目に飛び込んできます。

都の人たちは姨捨山があるさらしなの里の月の風景を旅のみやげ話として持ち帰り、「こんな美しい月が見られた」と自慢したでしょう。今のように簡単には旅ができなかった時代なので、その話を聞いた都の人たちは想像を膨らませたでしょう。そうして、さらしなの月の美しさは京都から全国に広がっていきました。

 そして、こういう情報が積み重なってできた歌が次の歌です。

わがこころ慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て(よみ人知らず)

天皇の命令で編まれた「古今和歌集」に載っている歌です。古今和歌集ができたのは905年なので、この歌は遅くとも800年代にはできていたことになります。この画像はさらしなルネサンスが2014年、発足したときに作ったポスターです。

歌の中の「姨捨山」は冠着山のことです。人が生きていくときにはいろいろな苦しいこと、思うようにならないことがあります。親きょうだい、親しい人、妻や夫、子どもの死、正しいことが通らないこと。そうした苦しみを慰めようと、美しいさらしなの里の月を見ていてもいてもなぐさめることはできないという意味です。

この歌によって月が格別に美しいのが、信濃の国のさらしなの里だということが都人の間で広く知られるようになりました。理由は「慰めかねつ」という表現にもありました。ふつう美しいものを見たら慰められると考えるものですが、実際はそうではありません。特に老いや死のかなしみは一瞬慰められてもまた悲しみとして立ち上がってきます。決して慰められることはない、慰めることはできないという人間の心の真実を57577の歌のリズムで表現したことで、多くの人に読み継がれることになったのです。

さらしなの里を全国的に有名にした表現上のもう一つのポイントが、上句の「さらしなや」の「や」です。この「や」は詠嘆や感動を表現する助詞としてよく使われますが、この歌ではさらしなの里という舞台を、読み手の面前に出現させる働きをしています。月の美しい里として「さらしな」という地名を強調しているんです。

なぜたくさんの人が和歌や俳句に詠んだのか?

 この歌に感動した言葉の芸術家や有名人が、のちにいくつものさらしなの里のことを詠んだ和歌や俳句を作りしました。

はるかなる月の都に契りありて秋の夜あかすさらしなの里

平安時代末に生まれ鎌倉時代の初めを生きた公家で百人一首を作った藤原定家の歌です。わたしが調べた限り、さらしなの里を月の都とのセットで詠んだ最初の和歌です。歌の意味はきょうは深入りしません。わたしが長楽寺で行う「月の都の魅力深掘り連続講座」第3回で解説します。11月12日です。

次は豊臣秀吉の和歌です。「さらしなや雄島の月もよそならんただ伏見江の秋の夕ぐれ」。雄島というのはこれも月が美しい宮城県の松島ことで、伏見江は秀吉が築いたお城の下に広がっていた大きな湖、巨椋池のことです。秀吉はさらしなの里に来たことがありませんが、その月の美しさを知っており、自分の城から眺めらる大きな巨椋池の上空に現われた月の美しさは、月の都のさらしなに勝るとも劣らないと自慢しています。天下人がさらしなの月をライバル視しています。

松尾芭蕉も、さらしなの里の月をみるためだけにやってきたことがあります。のちに「更科紀行」という文章にまとめる旅です。そのときにつくったのが「俤や姨ひとりなく月の友」で、この俳句は姨捨の棚田の中にある長楽寺というお寺の「面影塚」という大きな石の碑に刻まれています。

そして長野県の俳人、小林一茶の俳句です。「一夜さは我さらしなよさらしなよ」。この句は、中秋のころにさらしなの里の姨捨にやってきて、お月見をすることができた一茶の感激を詠んだものです。すごいですよね、さらしなよさらしなよそれだけのことですが、それで俳句になっているというのは。そのくらいさらしなという地名が当時の人たちのあこがれだったんです。

さらしなや姨捨を詠んだ和歌や俳句は、歴史上の有名人に限らず、本当にたくさんあります。どうしてそんなに歌にしたかったのか。さらしな姨捨の里が若返りの里だったからです。短歌や俳句に限らず、カラオケで歌をうたったりお気に入りの歌を口ずさんだりしたときのことを思いだしてください。うたったときにすがすがしさと躍動感を覚えませんか。すがすがしくなって躍動したということはつまり、血の巡りがよくなったということです。血の巡りがよくなるということは、からだと心の若返り。つまさらしなの里姨捨に来たり、来れない人は想像したりして和歌や俳句をつくり、みんな若返ったのです。

若返りの里を描いた絵画

 さらしなの里が若返りの里であることを、絵画で示したのがここに展示されている倉島丹浪さんのこの「姨捨山」という作品です。

倉島丹浪さんは千曲市倉科に1899年に生まれ、1992年に亡くなった日本画家です。「姨捨山」は、姨石という巨大な岩があることで有名な長楽寺に伝わる「姨捨山縁起」をモチーフにしたものです。縁起とは物語のことで、「姨捨山縁起」では日本神話に登場する二人の女性の神が主人公。ひがみや妬みから姿もこころも醜くなってしまった大山姫を美しい姪の木花咲耶姫が姨捨山に誘い、大山姫が心の汚れを洗い落し、姿も美しくなっていく物語です。最初にこの絵を知ったときは、右側の女性が大山姫で、左側の女性が木花咲耶姫だと思っていたのですが、アートまちかどの解説を読んでとらえ直したほうがこの画の面白さはパワーアップすると思うようになりました。

描かれている二人の女性は同じ大山姫で、醜い心を持った大山姫が姨捨山にかかるさらしなの里の美しい月を見て、心が洗われ若返っていく様を描いているというのです。左の女性は縁起に登場する美しい「木花咲耶姫」だと私は解釈してきたのですが、そうではなく、さらしなの美しい月を見て若返ったおばあさんの姿。耳のイアリングが同じであるのでそうした解釈もできるそうです。

倉島丹浪さんも、和歌や俳句をつくったたくさんの人たちと同じように、さらしなの里は心をすがすがしく躍動させ、心を浄化させる「若返りの里」だと考えていたことになります。若返りの里のさらしな姨捨を美しく描いた作品です。姨捨とは姨の心を捨てること、さらしな姨捨はひがみがちな醜い姨の心を捨てることができる里と言えるんです。

グレイトサウンド「さらしな」

 さて、きょうの一番のテーマ、お配りしたレジュメの3「白の美意識」についてです。白の美意識とは自分をすがすがしくして躍動させる心の働きのことです。倉島丹浪さんに「姨捨山」という作品を描かせたのも、白の美意識です。作品を見る人だけでなく、描く自分をもすがすがしくして躍動させたいという心の働きなんです。

さらしなが心をすがすがしく躍動させるグレイトサウンドであることを証明する音楽の曲を見ていきます。

まず「春の小川」です。

この歌を歌ったときのすがすがしさと躍動感は、「さらさら」という小川の流れる様子を描写する擬態語ではじまることに加え、サ行とラ行の音が入った言葉がいくつもあるためです。さらに言えばカ行の音がすがすがしさと躍動感を強調する働きをしています。特に一番の歌詞がすがすがしく躍動的です。

サ行とラ行、そしてカ行の音がいくつあるか数えてみましょう。サ行の音は、さら、さら、きし、すみれ、すがた、やさしく(2音)、うつくしく、さけよ、さけよ、ささやきながら(2音)。「やさしく」と「ささやきながら」「ささやき」はサ行が二つ出てくるので、全部で12のさ行の音があります。次にラ行。はる、さら、さら、すみれ、れんげ、いろ、ささやきながら。計7音です、そしてカ行。さらさらいくよ、きし、やさしく、いろうつくしく(2音)、さけよ、さけよ、ささやきながら。計8音です。サ行ラ行カ行の音は12+7+8で27音あります。一番の歌詞は7音のフレーズが8つつらなってできているので7×8で56音あります。ですから、サ行とラ行、カ行は56分の27となり、ほぼ半分を占めています。こうした音の数の多さに加え、「さらさら行くよ」とか「すがたやさしく」「色うつくしく」「ささやきながら」というように、サ行ラ行カ行の音をセットにしたフレーズをいくつもたたみかけるように続けていることが、1番の歌詞のすがすがしさと躍動感のメカニズムです。

次に「たなばたさま」。これも春の小川と同じように、「さらさら」で歌が始まり、サ行、ラ行、カ行の言葉たちが、並んでいます。1番の歌詞のサ行の音は、ささ(2)さらさら(2)、おほしさま(2)、すなごで7音。ラ行は(指を折りながら)さらさら(2)、ゆれる(2)、きらきら(2)で6音、カ行は(指を折りながら)のきば、きらきら(2)きんぎんで4音。サ行ラ行カ行で15音、1番は全部で30音なので、半分を占めています。湿度の高い、日本の夏。この歌に感じる格別なさわやかさは、サ行ラ行カ行の音の多さとサ行ラ行カ行の音がセットになったフレーズが並んでいることが関係しています。

これら二つの歌のように、「さら」という言葉はすばりは出てきませんが、人生の節目の場面にはやはりサ行とラ行、カ行の言葉たちの音色の力を借りて心をすがすがしく躍動させる歌を次に紹介します。卒業のときの定番ソングになっている「旅立ちの日に」です。

 しろいひかり、はるかな、そら、かぎりなく、こころ、ふるわせ、かける、とり、ふりかえることもせず、ゆうき、こめて、きぼうのかぜにのり、このひろいおおぞら、たくして。

「旅立ちの日に」という歌の詞の内容と、ひとつひとつの言葉の調べが調和して奏で合い、すがすがしさと躍動感が極まっています。

春先の「春の小川」、夏の始まりの「たなばたさま」、卒業の季節の「旅立ちの日に」と紹介してきました。これらの歌が、このように暮らしや人生の節目のタイミングで歌われる代表的な歌として選ばれ、今でも歌い継がれているのは日本人のすがすがしくなって躍動する「白の美意識」が反映したものだと思います。

 この「日本人の白の美意識説」を補強するものとして、ひとつの短歌を紹介します。

咲くさくら散るさくらあり列島はささらほうさらさくらほうさら 土橋身知子

わたしも短歌を作っています。いろいろな短歌結社の機関誌を手にすることがあります。この歌は山梨県の短歌結社「美知思波」の機関誌2017年8月号に掲載されていたものです。新聞記者をしていたとき山梨県の甲府支局に勤務したことがあり、そのときに「これは日本人の白の美意識を楽しく分かりやすく歌い上げた名歌だな」と思ってメモしていたものです。

サ行にラ行、カ行の言葉の音色の繰り返しの調べが心地よく楽しいです。桜前線の北上とともに日本中が桜の花の色で染まっていく様を俯瞰しています。幹や枝を飾っている花、風に舞う花びら、地面を埋めつくした花びら…。日本の国土が、桜の花と花に寄せる人たちの思いで清められ、年度が新しく始まることを祝福しています。

「ささらほうさら」は山梨県や南信州で「ひっちゃかめっちゃか」といような意味で使われるそうです。作者は山梨県の人ですから、そのことを知らないはずはないと思いますが、意味よりも音のしらべを歌に取り入れることによって春先のすがすがしさや躍動感、うきうき感を強調したのだと思います。「さら」という音色がささらほうさら、さくらほうさらと3回も出てきます。この歌の音の並びを見て気づいたのは、さくらも「さら」のきょうだいというか姉妹言葉だということです。「さ」と「ら」の間に「く」が入れば「さくら」。さくらにわたしたちがすがすがしさと躍動を覚えるのは、サ行とラ行、そしてカ行の音でできているせいもあるかもしれません。

桜前線の北上は毎年春、日本という国土を清めて白くしていくものです。桜前線の北上を国民みんなが見ている、桜の花によって日本という国土が、散ればその白い花の精を吸って清まり、白くなっていく様を体感しています。こうした国は世界でほかにないのではないでしょうか。

 もう一つ、白の美意識にもとづくすがすがしい日本語たちのことにも触れます。

「すがすがしさ」を大切にする気持ちは、普段使っている日本語にたくさんあるんです。

率直(ソッチョク)、誠実(セイジツ)、洗濯(センタク)、掃除(ソウジ)、清掃(セイソウ)、雪辱(セツジョク)、真摯(シンシ)、再生(サイセイ)、信頼(シンライ)、信用(シンヨウ)…。

インドで生まれた仏教を日本流にアレンジした有名な僧の名前も、最澄(サイチョウ)、空海(クウカイ)。空海はカ行だが、イメージは澄んでいます。戦国時代の人気武将の名前にもサ行が入る言葉がいくつもあります。信玄(シンゲン)、上杉謙信(ウエスギケンシン)、秀吉(ヒデヨシ)、家康(イエヤス)。天皇はスメラミコトと呼ばれた歴史があり、その墓所は陵(ミササギ)とも読みます。

天皇をスメラミコトと呼んだ古代日本人の感性は、現代に至る日本人の白の美意識に大きく影響した思っています。このスメラというのは統治、国を治める意味の統べるということばと、清くすがすがしい意味の澄むの両方の意味を合わせたことばで、ミコトは尊い言葉の意味です。ですから、スメラミコトはうそ偽りのない清く正しい言葉で国を治める国民のお手本となるそういう存在のことです。国のトップ、王がそういう存在で、天皇家は現代に至るまでずっと続いているわけですから、これは日本人の精神性や美意識に大きく影響しています。

だからでしょう。熟語だけでなく、ふだんわれわれ日本人が使うことばにもその美意識が及んでいます。

気がす(澄)む、胸がすく、水に流す、すみません…。「すみません」は、にごっていて澄んでいないこと。使わない日はないくらいです。清く正しく「澄」んでいることがとても大切であるという意識が、この言葉を作り出したという説が有力です。

風呂から上がって、歯を磨いて「さっぱり」。髪を洗って、洗濯をして「さらさら」。全部を出し切って「せいせい」。全部を出し切ることは「さらけだす」。

日本語の丁寧な言い方の最後には「です」「ます」が付きます。テレビではニュースなどであふれています。こうした話し言葉の終わりのしらべは、外国人にはどのように届いているでしょうか。

白いさらしなそばの名前も白の美意識の働きのなせるわざだと思います。日本人のそば好きは、そばをすすったときのすがすがしさとそのあとに続く満足感という躍動にあるような気がわたしはしています。

水と雪に恵まれた風土が日本人の美意識を研ぎ澄ましていった

 さて、では日本人の美意識が「白」となった大本は何なのかということについてです。

わたしは、日本の国土にある豊かな水とほどほどの雪が降るという風土が大きな要因だと思っています。京都は盆地でその両方を満たしています。日本の都がそういう風土であったというのは日本人の美意識に決定的な影響を与えたと思います。

水と雪に恵まれた風土が日本人の美意識を「白」にしたことを裏付ける歴史や文化のエピソードはいろいろあるのですが、先日(2022年6月18日に放送されたNHKのブラタモリを取り上げます。京都の中心を流れる鴨川を題材にしたものでした。

このときの番組のテーマは「川をたどれば京都がわかる」というもので、タモリさんが京都のまちをうるおす鴨川の水源から京都のまちに下ってくる内容でした。ここで興味深かったのは、水源近くの上流部分を支配していた賀茂氏という豪族が、現在は世界遺産になっている上賀茂神社(かみがもじんじゃ)の神職をしながら、水を神社の境内に引き入れ、それを境内の南に広がる田畑の水として使っていたということです。飲み水であり、神様に奉仕する身を清めるための水であり、作物を育てる水。その一帯は冬になればほどほとに雪が降ります。都には、雪は豊作、良い1年の吉兆、良い兆しと考える風土がありました。賀茂氏が京都の水源を支配し始めたのは、794年に始まった平安京ができる前からなので、千数百年という長い時間をかけて、作物を育てるだけでなく、日本人の心と体を清め、すべてを洗い流して白くする神聖なものとして水をとらえる風土が続いてきたわけです。

豊かな水、しかもそれが飲めるという国は日本以外になかなかありません。雪が豊作、良い1年の兆しということについてはすこし解説します。雪を豊作、平和の兆しとしてとらえる日本人の感性を表現した和歌が1300年近く前に詠まれています。

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事(万葉集4516,大伴家持)

日本最古の歌集「万葉集」の全約4500首の歌の最後をしめくくる歌。「重」い「け」と書いて「しけ」、吉事(きちじ)と書いて「よごと」とよみます。大伴家持は万葉集を編纂した人。新年最初の元旦に雪が降っている、この雪のように良い事もたくさん積もれよ、という意味です。1年の最初に、この1年を白い雪のさまで祝福して、万葉集を終えるというこの歌の配置は、日本人にとっての雪の意味を決定的にしたでしょう。歌のしらべも、雪の美しさを呼び起こします。「あたらしき」に始まり、「いやしけよごと」で終わるという、サ行ラ行カ行の音がコラボレーションする言葉の配列、構成によって雪が降る都の白さ、神聖さが、この歌を読む人、聞く人に深く染み入っていったと思います。

世界遺産になっている上賀茂神社の神職に限らず、日本には神社に奉仕する人たちが各地にいます。神に奉仕するということは、まさしくすがすがしくなって躍動する心の働きを求めるものです。すがすがしさと躍動を求める心の働きは、人類に共通した意識だと思います。ただ、日本は特に水と雪に恵まれた風土によって研ぎ澄まされていった。そしてくらしのすみずみに「白」の美意識にもとづく、例えばすがすがしい日本語たちといった白の表現が生まれ、定着したのだと思っています。 形になった「白の表現」の身近な例は、御柱祭で有名な諏訪大社の神の宝、神宝の真澄鏡(ますみのかがみ)です。ますみは真に澄むと書きます。澄み切った鏡という意味です。真澄は地元の酒蔵、宮坂醸造さんの代表的な銘柄になっています。

そしてレジュメ4の「全国各地にあるさらしな」です。旅先で美術館に入ったり、景色を眺めたりして感動することがあると思います。それは日常を離れてすがすがしくなって躍動したいあなたの心、白の美意識が発動、働いたということなんです。

本当に感動したときのことを思い返してみてください。美しいものに出会ったときは、息を呑みます。そして「すごい」「すげー」とか「すばらしい」「なんだこれは」「かわいいー」というような言葉をこれも無意識に吐きます。この一連の反応は、分析すると、一瞬息を止めたあと言葉を吐くことで、大きな呼吸となり、脳に酸素が行き渡ったことで、脳がすがすがしくなり、心と体が躍動することなんです。心とからだの躍動は、言ってみれば「すがすがしさ」という神経物質のようなものが全身をめぐって発動するものなんだと思います。

これまでお話してきたように、さらしなという地名を唱えたときの心の動きは、すがすがしさと躍動です。このことに気づいてからは、旅先で感動したときは「ここにもさらしながある」と思うようになりました。そして、「ああこれがさらしなという地名の里を都人をはじめ全国の人のあこがれの地にした心の働きなんだ」と思うようになりました。全国至るところにさらしながあるんです。

 最後にまとめです。

白の美意識とはすがすがしくなって躍動したい心の働きのことです。すがすがしくなって躍動したい心の働きは人類共通ですが、日本の場合は、水と雪に恵まれた風土によって研ぎ澄まされ、くらしのすみずみにまでそうした心の働きによる白の表現が生まれました。それが今日のテーマにある「白が紡ぐ日本の美」です。そして、そのすがすがしく躍動したい心が最もよく発動する場として、日本では、月が格別に美しいさらしな里が選ばれてきました。それがさらしなの美です。

こうした「白の美意識」が発動し、その衝動を抑えられず、さらしなの里に来た一人が、今日のお話の前半で紹介した「俤や姨ひとりなく月の友」の句を詠んだ松尾芭蕉です。この句については中秋の9月10日、「月の都の魅力深掘り連続講座」の第2回として芭蕉が訪ねた長楽寺でたっぷり読み解きます。

なお、更級郡という行政区画名はなくなってしまいましたが、「さらしな」という地名は、姨捨山の別名がある冠着山のふもとに「更級地区」として残っています。ここは明治から昭和の半ばまで更級村という自治体があったところです。小学校の名前に「更級」をつけた更級小学校があり、地名遺産としてのさらしなを現在に伝えています。

ご清聴ありがとうございました。「清聴」。ここにもすがすがしい日本語があります。

★「白 さらしな発日本美意識考」には、お話しできなかったことをたくさん盛り込んでいます。さらしな堂で展示販売、800円(税込み)です。

(了)