能楽の大成者世阿弥が作った謡曲「姨捨」。姨捨山の別名を持つ冠着山の頂上が、謡われている物語の舞台で、世阿弥は頂上に生息するヒメボタルなど冠着山頂の情報を得て物語を構想した可能性があるのですが、さらに冠着山頂の蝶の情報も世阿弥は手に入れたいたのではないかと思うようになりました。
そう思うようになったのは、「渡り蝶」として知られるアサギマダラについての講演を行った冠着山のふもとの更級小学校教諭大代孝浩さんにお聞きしたのがきっかけです。大代さんはアサギマダラが長野県から沖縄まで海を渡って2000㌔近く移動していることを突き止めるきっかけになった取り組みをした方。更級小学校近くの里山堂の山の再生事業によりアサギマダラが飛来するようになったのを受け12月3日、千曲市総合観光会館でアサギマダラの生態について講演しました。
大代さんによると、アサギマダラは3カ月以上生き、蝶の中でも長寿のため、生息温度の15~20度の地域を求めて、信州から沖縄まで移動するのだといいます。まだ、その生態は未解明な部分が多く、海を渡るときは、疲れたら海面に浸って、元気が出たらまた飛び立つというようなことも考えられているというお話が大変興味深かったです。
講演が終わったあと、大代さんに冠着山の頂上にアサギマダラがいるか質問しました。ヒメボタルが舞ったあとの8月ぐらいに現れるとのことで、びっくりしました。世阿弥の謡曲「姨捨」は、執念の闇をはらそうと舞う老女の様子を謡う中で「秋草の露の間に現れて胡蝶の遊び、戯るる舞の袖」と、蝶を老女にまとわせているのです。冠着山頂に生息する二つの生き物の情報を世阿弥は持っていたのではないか…。
「姨捨」の謡本で、どうしてこの場面に蝶が出てくるのか、ずっと疑問でした。蝶という生き物に寄せられてきた文学的な意味合いがあるのかなとは思ってきたのですが、実際にヒメボタルの直後にはアサギマダラが冠着山頂で舞うと知ると、物語の届き方が違ってきます。その蝶が海を渡ってはるかかなたまで飛ぶアサギマダラだとなれば…。謡曲「姨捨」には海の向こうの西方浄土を描写する場面も出てきます。
謡曲「姨捨」と冠着山頂のヒメボタルについては次のページをご覧ください。