平安末期から鎌倉初期を生き、優れた歌人だった都の貴族九条良経(以下良経)に、更級を奈良の吉野と並び称す歌をはじめさらしなへの特別な思い入れを感じさせる和歌がいくつもあることを、シリーズ155,163,256で紹介してきました。良経は時の後鳥羽天皇を補佐する摂政、朝廷のナンバー2の権力者である一方、新古今和歌集の序文を書いたり、巻頭和歌を詠んだりするなど和歌の名手でした。今号では、その良経がそのような立場や評価を得る前、まだ源平動乱の爪痕が残る22歳のとき(1190年)、「更級」について詠んだ一首について掘り下げます。(画像クリックで拡大、印刷できます)
良経がその後深めていったさらしなへの思い入れのエッセンスがこの歌にあり、「月の都」と「さらしな」を最初にセットで詠んだ藤原定家の歌「はるかなる月の都に契りありて秋の夜あかすさらしなの里」(以下「月の都さらしな」歌、シリーズ268参照)につながっている気がするのです。その歌はー
更級を心のうちに尋ぬれば都の月もあはれ添ひけり
この歌は、自由な生き方と歌の詠みぶりで特別な存在だった西行が亡くなった(1190年3月30日)ことを偲び、有力歌人たちが西行が得意とした桜の花と月を主題にそれぞれ50首、計100首(花月百首)を披露し合う歌会で良経が披露した100首の中の一首です。月がテーマの良経の50首の中には更級を詠んだ歌はほかに2首あり、一つの月の名所について複数の歌があるのは更級だけなのです。
この歌が出来上がるまでの良経の心の中に分け入ってみます。良経は都の東に並ぶ山の峯(以下東山)から上る月を見ているとき、東山のはるか向こうの東国の信濃の国に「さらしなの里」があることに思いが至ったのだと思います。良経の精神は、良経の時代より三百年近く前の古今和歌集に載り多くの都人の口の端に上って来た「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」の歌の現場の「さらしなの里」に飛びました。どんなに美しい月を見てもかなしみは決して慰め切ることができないという人間の心の真実を歌った古人、そして「さらしな」という地名の美しさにも思いが至りました。東国の辺地を訪ねることはかなわない良経は、精神をさらしなの里にしばし遊ばせ、そして現実の目の前の都の世界に戻りました。実際に目の前に上がっている都の月に、さらしなの里の月がオーバーラップして、都の月のあわれさが一層増したのだと思います。時は源氏と平氏の戦いに決着がつき、日本史上初めて武士の世が到来。都のこれからが心配だったでしょう。月の名所は各地にありますが、心の中で訪ねる先として歌われる名所はそんなにありません。さらしなという地名の里の月を持ち出すことで、都の月のあわれさがより深まると感じたと推察します。
そして私は、この歌に「更級」と「都」と「月」という言葉が入っていることに着目しました。「月の都さらしな」を構成する言葉が全部入っています。藤原定家はこの歌を踏まえ「月の都さらしな」歌を詠んだのかもしれない…。
そう考える根拠についてです。定家の父の俊成は良経の歌の先生で、定家も九条家の伝統儀礼の実務などを担う家司として仕えていました。良経より八つ年上ですが、良経の歌のすばらしさに感嘆し、定家も良経と同じように花月百首を詠んで、披露しています。ですから、当然、良経の「更級を心のうちに…」の歌も知っていたはずです。「更級」と「都」と「月」の3つの言葉を入れた歌は良経の後年にも「山深み都を雲のよそに見て誰ながむらん更級の月」があり、この三つの言葉を歌にとじ込めるその良経の歌いぶりが頭にあったかもしれません。良経には隠遁至高があったことを多くの研究者が指摘しており、現実の世界から離れ、精神を遊ばせる先として更級が格好の場だった可能性があります。
定家の「月の都さらしな」歌が、良経が死んだあとに詠まれたものであることも、冒頭の良経の更級の歌を踏まえた可能性を感じた根拠です。御代は後鳥羽天皇から順徳天皇に代わり、定家が順徳天皇の歌会に全国の100の名所を題材に詠んだ歌(内裏名所百首)を詠進する際、信濃の国からは「さらしなの里」を選び、詠んだのが「月の都さらしな」歌なのです。武士の世になって、王朝の美の象徴である歌の新しい詠み方が求められた時代です。定家は良経が歌にいれた3つの言葉を新たな組み合わせにして、「精神の遊び先」として良経があこがれていたさらしなの里の美を表現しようとしたののではないかと想像しました。
上の写真は良経のお墓。京都市東山区の大機院というお寺にあります。石柱に刻まれた「後京極摂政良経公墓」の「後京極」は、都の大きな通りの呼び名である「京極」に良経の邸宅があったことからの称号です。定家が編んだ百人一首にも良経の歌「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかもねむ」が採用されています。たくさんある良経の歌の中からなぜ定家がこれを選んだのかにも関心が及びます。
主な参考文献
「和歌文学大系60 秋篠月清集/明恵上人歌集」(谷知子、平野多恵著、明治書院)
「藤原定家全歌集 上 」(久保田淳解説、ちくま学芸文庫 )