99号・お月さんから見た「さらしなの里」

  千曲川の対岸、旧埴科郡の山並みから昇る月を眺めることはあっても、その山々からさらしなの里がどのように見えるのかあまり考えたことはありませんでした。千曲市仙石地区(旧更級村)にお住まいの西沢保雄さんがお撮りになった写真を見て気になり始めました。
 若々しい姨捨山
 上の写真をご覧ください。西沢さんが2008年11月、旧埴科郡を代表する山の一つ、五里ヶ峯(1094㍍)の頂上から撮影したものです。五里ヶ峯は、JR姨捨駅から撮影した左の写真の右側の峯で、現在の坂城町と千曲市の境界に位置しています。西沢さんは大判に引き伸ばした写真を横につないで額装し、持ってきてくださいました。
 まず驚いたのが、冠着山(別名・姨捨山)の姿です。左のとがった三角の峯が冠着山です。ぼこ抱き岩はちょうど正面に位置するため見えませんが、若々しさを感じさせる山容です。その右に山頂がなだらかに広がる聖山、その下に中央高速道の白い高架橋が見えます。これら千曲川の対岸、西側の一帯がかつて更級郡でした。奥の、白く横に伸びる稜線は北アルプスです。
 右端には一重山も見え、千曲市の中央域がこの写真の中に納まっています。川に架かるのが左から万葉橋、大正橋、その次に赤く見えるのが冠着橋、そして平和橋。千曲橋はちょっと見えないようです。
 西沢さんの写真から一つ思い出したのが、シリーズ40で触れた京都御所の清涼殿の襖絵「更科の里」です。ここで描かれた冠着山と千曲川の構図が写真の光景とよく似ています。加えて襖絵に添えられた和歌「おばすてのやまぞしぐるる風見えてそのさらしなの里のたかむら」の内容とも合っています。
 この和歌の「さらしなの里のたかむら」の部分の解釈が難しかったのですが、西沢さんの写真をみると、さらしなの里が更級埴科両郡の間を流れる千曲川の向こう側に、なだらかな山すそに広がっているので、比較的高い位置にあるように見えます。作者の飛鳥井雅典は、五里ヶ峯など埴科郡の山並みから目に入るさらしなの里をイメージしたかもしれません。
 月の屏風
 月が昇る山の位置は時季によって上田方面から一重山辺りまで、大きな幅があります。見る場所によっても月が顔を出す位置は違いますが、中秋のときは、長楽寺周辺の千曲市姨捨地区(旧更級郡)から見ると鏡台山から昇ってくる月が有名です。その鏡台山からは、さらしなの里がどのように見えるか知りたくなって8月9日の日中、登りに行きました。左の写真の左側、真ん中が少しへこんだ部分があるのが鏡台山です。月が昇る場所を、女性がお化粧するのに使う鏡台に見立てた風雅な名前の山です。
 車でJR坂城駅付近の坂道を上り、和平地区を通って、ぐるっと五里ヶ峯の裏側に回り込み、「沢山登山口」と呼ばれる地点から登りました。この日は曇り。頂上に着くころには晴れるだろうと期待しました。
 峯には北峯と南峯があり、ゆっくり歩いて1時間ほどでまず、南峯に到着しました。写真のちょうどへこんだ鞍部の右側が南峯で、標高1269㍍。頂上のすぐ下に霧が巻いており下界は何も見えません。2㍍低い北峯に行っている間に晴れるかもしれないと念願しながら、峯の間にある鞍部を歩きました。
 わくわくしました。というのは中秋の時、さらしなの里からは燃えるような色の月がこの鞍部付近から顔を出すので、私の右側には大きな月がそびえ立っているような錯覚を覚えるのです。実際は、さらに遠くの山並から昇る月が小さく見えるのでしょうが、イメージとしては、巨大な月の屏風の手前を横切っているような感じでした。
 約10分で北峯に到着。大正時代、埴科郡の学校の子供たちがここで運動会をしたことを知らせる案内板がありました。確かにこの峯にはなだらかに平らな土地が広がっています。案内板には「女性の表情遊技」もあったと記されていました。どんな競技だったのでしょうか。
  頂上ウォーキングを楽しみ「残るは景色だけ」と期待しながら南峯に戻りました。しかし、さらしなの里を鏡台山から見ることはかないませんでした。次回までお預けです。右の写真は沢山登山口からすぐの所にあった楽しい案内板です。

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